仙崎は、信仰の篤い町でした。
町の中に、今でもたくさんのお寺があります。
みすゞも子供の頃から、毎日、仏様に手を合わせていたそうです。
又、自宅の二階が『歎異抄』という宗教書の勉強会場になっていて、みすゞもよく講義を聞いていたと伝わっています。
みすゞに、次のような「お仏壇」を歌った詩があります。
『お仏壇』(「金子みすゞ全集・Ⅱ」より)
「お背戸でもいだ橙も、
町のみやげの花菓子も、
仏さまのをあげなけりゃ、
私たちにはとれないの。
だけど、やさしい仏さま、
じきに、みんなに下さるの。
だから私はていねいに、
両手かさねていただくの。
家にゃお庭はないけれど、
お仏壇にはいつだって、
きれいな花が咲いてるの。
それでうち中あかるいの。
そしてやさしい仏さま、
それも私にくださるの。
だけどこぼれた花びらを、
踏んだりしてはいけないの。
朝と晩とにおばあさま、
いつもお灯明あげるのよ。
なかはすっかり黄金だから、
御殿のように、かがやくの。
朝と晩とに忘れずに、
私もお礼をあげるのよ。
そしてそのとき思うのよ。
いちんち忘れていたことを。
忘れていても、仏さま、
いつもみていてくださるの。
だから、私はそういうの、
「ありがと、ありがと、仏さま。」
黄金の御殿のようだけど、
これは、ちいさい御門なの。
いつも私がいい子なら、
いつか通ってゆけるのよ。
(金子みすゞ家の墓所:「遍照寺」さま)
又、みすゞはよくお寺にお参りに行っていたようです。
このようなお寺の法要の詩が残っていますので、これもご紹介しましょう。
『報恩講(ほうおんこう)』(「金子みすゞ全集・Ⅱ」より)
「「お番」の晩は雪のころ、
雪はなくても暗(あん)のころ、
くらい夜道をお寺につけば、
とても大きな蝋燭と、
とても大きなお火鉢で、
明るい、明るい、あたたかい。
大人はしっとりお話で、
子供は騒いじゃ叱られる。
だけど、明るくにぎやかで、
友だちゃみんなよっていて、
なにかしないじゃいられない。
更けてお家にかえっても、
なにかうれしい、ねむれない。
「お番」の晩は夜中でも、
からころげたの音がする。
つづく