住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「永観、遅し!」(後編)

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 驚き、立ち止まった永観さま。
 その姿に気が付かれた『阿弥陀』さまは、すっと首を左にひねって、こちらを向き、そして、こうおっしゃったのでした。
 「永観、遅し!」と。
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 その感激で、永観さまは涙を流しながら、又、行道を始められました。
 そして、いつしか夜は明けて、阿弥陀様は元の壇に戻ってゆかれました。
 しかし・・、
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 壇に戻られた『阿弥陀』さまのお首は、この日以来、(ムチ打ちのように〔いかん、最後にボケをかましてもろた!〕)左に曲げられたまま、もう二度と、元のお姿には戻りませんでした。
 その後、永観さまは、この日の体験から、さらに熱心にこの〔阿弥陀〕さまを拝み続けられ、又、民衆救済に、力を注がれたということです。
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 そして今も、この阿弥陀様は、『見返り美人』ではなく、『見返り阿弥陀』というお名前で、禅林寺永観堂で、お祀りされておられるのです。
 おしまい
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紙芝居:「永観、遅し!」(中編)

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そして、永観(えいかん)さまは、禅林寺で『浄土教』の布教をするかたわら、お寺境内に『薬王院(やくおういん)』を設け、病人や、罪を犯した囚人たちの更正にも、力をそそがれました。
 さらに・・、
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 日課として、一日一万遍の念仏を称え、修行を続けられました。
 そして、永保二年(1082)二月十五日、深夜。
 この日も、永観さまは夜を徹して、阿弥陀堂にて、念仏行道を行っておられました。
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 『念仏行道』というのは、ご本尊の阿弥陀像の廻りを、夜を徹して、念仏を称えながら、歩き続けるという厳しい修行です。
(永観)「南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ・・。」と、永観さまは、一心に称え、歩き続けておりました。
 堂内は、凍てつく様な寒さです。
 そして、そろそろ、夜明けが近づいて来たとき・・、
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 ふと、永観さまは、前方に何者かの気配を感じました。
 そして、「あっ」と、驚いた永観さま。
 思わず、息を呑んで立ち止まってしまいました。
 そう、前を歩いておられたのは、ご本尊の『阿弥陀』さまだったのですから・・。
 阿弥陀さまは、壇から下りられ、永観さまを先導されておられたのでした。 つづく

紙芝居:「永観、遅し!」(前編)

ファイル 1145-1.jpg(観念寺記念スタンプ)
 観念寺の〔記念スタンプ〕を作って下さった、『仏像はんこ愛子』さんが、ご友人たちと一緒に、東京で『第2回神仏画展』を開かれるらしい。
ファイル 1145-2.jpg(神仏画展案内状)
 (その案内状の絵からすると、)どうやら、彼女はそこで『見返り阿弥陀』ハンコを出展されるみたいだ。
ファイル 1145-3.jpg(永観堂の案内)
 ・・と、いうことで、彼女の出展をお祝いして、全三回で、僕も『見返り阿弥陀』の紙芝居を紹介したいと思う。
 いわば、彼女の露払いだ。(愛子さん、展覧会の大成功を、大阪よりお念じ申しあげます!)
 それでは、はじまり、はじまり~。
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 「永観、遅し!」。
 これは、遥か平安時代に、お寺の仏像「阿弥陀如来」さまが、修行中の『永観(えいかん、ようかんとも云う)』というお坊様に、お掛けになったお言葉と伝わっています。
 「でも、いったいなぜ?」
 これは、紅葉で有名な、京都は『永観堂 禅林寺』に伝わる不思議なお話です。
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 永観(えいかん)上人。
 この方は、平安時代のお坊様で、十一歳で禅林寺にて得度。のち、奈良の東大寺で仏教学を学ばれました。
 そして、三十一歳の時、貴族という特権階級の人々だけに、仏法を説く虚しさを感じ、地位と名誉を捨てて隠遁。
 禅林寺に帰り、独自の活動を始められたのでした。 つづく

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