或る日のことです。
隣町のお寺の住職から、庄松(しょうま)さんは、呼び出されました。
(偉そうな住職)「庄松、今から檀家にご法事に行く。だからお前は、〔法衣〕と〔お経さま〕を持って付いて来なさい!」と、住職は庄松さんに荷物持ちを命じました。
庄松さんは、「へい、承知しました」と、二つ返事で引き受け、ひょこひょことついて行きます。
そして、檀家宅に着き、玄関から入る住職でしたが、庄松さんも一緒について来ようとしました。それで・・、
(住職)「これっ、庄松!お前は身分が低いから、裏口から入りなさい!」と言うと・・、なんと、
(庄松)「わしは身分が低いが、〔お経さま〕は住職より尊いぞ!・・だから、それを持っとるわしも尊い!」と言って、ズカズカと住職を追い抜いて、玄関から先に入って行きました。
(住職)「こりゃ、理屈じゃ負けじゃ・・。」と言って、住職は笑いながら後から入って行ったそうです。 つづく
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紙芝居:「妙好人 讃岐の庄松さん」(その2)
紙芝居:「妙好人 讃岐の庄松さん」(その1)
「妙好人(みょうこうにん)」というのは、言葉では言い尽せない程、素晴らしい念仏者のことです。
讃岐(今の四国は香川県)の『庄松(しょうま)』さんも、そのお一人でした。
庄松さんは、貧しい農家に生まれた為、生涯文字の読み書きやお金の勘定が出来ませんでした。
しかし、無欲で、信心が篤く、たとえどんなに相手が地位の高い人でも、ズバリと仏法の核心を言い当てて、廻りの人に感動を与えました。
それではそんな『庄松』さんの一代記を聞いて頂きましょう。はじまり、はじまりー。
『庄松』さんの家は、貧しいお百姓さんでした。
それで、食べてゆくことが出来ず、〔草履〕作りなどの、今で言うアルバイトや〔子守り〕などをしたり、
又、近くの『勝覚寺(しょうかくじ)』様というお寺の下働きなどもしながら、どうにか生計を立てておりました。
庄松さんが、仏法を熱心に聞くようになった機縁は、お寺の仕事を手伝っていたからかもしれません。
又生まれつき、まっすぐな性格でしたので、砂に水が沁みこむように、お念仏の教えの真髄が、身体全体で受け取ることができたのかもしれません。 つづく