源左さんの逸話つづく・・。
源左さんは、毎朝、必ずご仏壇の前で、お勤めをしました。
最初に述べましたように、源左さんは文字の読み書きが出来ませんでした。・・・が、お経は丸暗記されていて、その声はとても澄んで、よく通る声だったそうです。
又、夜もご仏壇の前でお勤めをしました。
・・が、途中、よく居眠りをされたそうです。
朝早くから起きているのですから、当然かもしれませんが、中には「源左さん、ご仏壇の前で居眠りなんて行儀が悪いですよ!」と注意するものも居りました。(まぁ、それが普通やろうなぁ)
しかし源左さんは、「いいや、阿弥陀(仏)様はこの源左の親様じゃ。だから、子供が親の前で居眠りしても何ともないだ。ようこそ、ようこそ、南無阿弥陀仏。」と言ったそうです。(まぁ、源左さんが言うから、納得してしまうねんけど・・。〔笑〕)
又、或る日のこと。
源左さんは、田んぼから帰る途中、ずっと自分の手のひらを見つめ続けておりました。
そして、家に帰って来た源左さんは、家族にポツンと言ったそうです。
(源左)「親からもろた手は、強いもんだなぁ・・。
痛んだ草刈の〔鎌の刃〕は取替えねばならんけど、手のひらは何十年使うても、磨り減ることもなく、欠けることもなく、よう働いてくれる。
・・なんと有り難いことじゃろうか。ようこそ、ようこそ、さてもさても、南無阿弥陀仏。」と呟いたそうです。
普段、我々が当たり前のように思っている事を、源左さんの目から見れば「なんと、もったいない(不思議で有り難い)こっちゃ」と、思われたのでしょう。 つづく(次回、最終回)
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記事一覧
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紙芝居:「因幡の源左さん」(その6)
紙芝居:「因幡の源左さん」(その5)
さて、この紙芝居の後半は、その後の源左さんの逸話をいくつかご紹介することに致しましょう。
ある日のことです。
源左さんの家の〔柿の木〕の柿が、誰かにいくつか盗まれてしまう事件がおこりました。
そこで源左さんの子供は、二度と盗まれないようにと、柿の木に〔茨(イバラ)〕を巻きつけました。
それを見た源左さんは、「そんなことして、泥棒さんがケガをしたらどうするんじゃ。」と言って・・、
なんと、次の日、盗みやすいように〔ハシゴ〕を置きました。
この行為に疑問を持った子供に対して、源左さんは、「なぁに、誰が何個盗っても、結局、わしらの方がたくさん食べることが出来るんじゃからエエじゃないか。ようこそ、ようこそ・・ナンマンダブツ」と言ったそうです。
(今も残る柿の木)
もう一つ、(おもろい?)エピソードを。
ある夏の盛り、源左さんは夕立に遭ってしまいました。
全身ずぶぬれになって、田んぼから帰って来た源左さん。
それを偶然見かけた願正寺のご住職は、「源左さんっ、よう濡れたのう。」と、声を掛けました。
すると、源左さんは顔をほこらばせて、
(源左)「はい、ありがとうございます。・・でも、鼻が下を向いとるんで有り難いぞな。ようこそ、ようこそ、さてもさても」と言ったそうです。
鼻が上を向いていたら、鼻の穴に雨が入ってしまい息が出来ない。下を向いていればこそ、ずぶぬれになっても雨が入らない。
なんと有り難い(顔を作りを整えられた)仏さまの計らいだろうと、源左さんは受け取ったのです。 つづく