住職のつぼやき[管理用]

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「自分だけ違う」と思う錯覚

 今日は、お寺の総代さんの奥様(行年53才)の祥月命日だった。
 ご仏壇でお参りさせて頂いた後、総代さんが涙を拭き拭きおっしゃられた。
 「妻は、突然の病で亡くなりました。
 亡くなる当日まで、パートに行っていたので、その元気さが解るでしょう。 
 夜、テレビを一緒に見ていて、突然、彼女が「救急車を呼んで欲しい」と言ったので、よっぽど苦しかったのでしょう。肺が原因でした。
 救急車が来た時は、すでに心臓が止まっていました。
 私は呆然としました。
 お葬式が済んだ後、『なんと人の命は儚いもんや』と、切実に思いました。
 生きる気力も無くしました。 
 でも、後に残った者は生活があります。 
 洗濯も掃除も自炊も買い物も子育ても、私一人でしなければならなくなりました。
 しかも会社で仕事をしながらです。
 会社の同僚が声を掛けてくれても、近所の方が優しい言葉を掛けてくれても、『こんな不幸な境遇は私だけや!自分は人と違うんや。』と心を閉ざし続けました。
 今から考えたら、普通の状態ではなかったです。
 炊飯器の使い方ひとつ解らず、作ったおかずも想像以上にまずくて食べることもできず、何度も捨てて布団に入って泣きました。大の男がです。
 でも、同じような境遇のような方に、声を掛けてもらった時、「ああっ不幸なのは私だけではないんや」と気がつきました。
 ・・どうしようもない不幸が自分にやって来た時、人は世の中の人すべてが幸せに見えて、そして憎らしく思えてしまうのですね。
 やっぱり、悲しみから立ち直るには時間が必要ですし、同じ悲しみを共有し合える仲間が必要だと思います。
 私はきっと今も、かつての自分のような『自分だけ違う』と思い、わけがわからんようになってる人が、(自分の)周りに居てると思うのです。
 今度は私自身が、そんな人を慰める番やと今思っているんですよ。だからなるべく色んな人に私から声を掛けて、話をしていってるんです。」とお話して下さった。
 僕は心に沁みる、その一つ一つの言葉に、ただ「うんうん」としか言えずにもう一度仏壇に手を合わせて、その総代さんの家を後にした。
 
 
 
 
 

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