住職のつぼやき[管理用]

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観光バスツアーがやって来る!

 『嘘やろ~っ!?』と、思わず呟いた事がついに起こった。
 それは昨日の電話である。
 「こちらは、京都の『○○観光』と申します。
 京都の○○派○○組寺院様御一行の強いご要望で、観念寺様に今度、〔観光バス〕で参拝させて頂いてよろしいでしょうか? お客さまがツアー行程の一つとして〔観念寺〕さまをご希望されておりますので・・。又、できましたら、お客さま到着後、『紙芝居』を披露していただけませんでしょうか?」と、いうものだった。
 『えぇっ?』と思ったが、話を伺っていると、どうやら本気のようだ。
 その日、京都を出発し大阪へ南下、うちの寺に寄る。その後、堺市で食事を取り、貝塚(願泉寺)にお参りし、その日は白浜で一泊される。そして次の日、和歌山市立博物館を見学し、帰宅という行程らしい。

 貝塚の大寺院『願泉寺』と『和歌山市立博物館』の見学は解る。・・しかし、うちの(吹けば飛ぶような)小さな寺が、そのツアーに組み込まれるとは、何という珍事か?!
「うちの寺の前の道路は狭いので、大型バスは入れませんが良いのですか?」などと、細かい事を何度も聞いたが、『何とかする』と云う事だ。
 聞いているうちに一つ解ったことは、どうやら先々月、テレビ放送された「よーいどん」を見られた方が、「是非、《生》の紙芝居を、現地で見てみたい」と希望されたようなのだ。(テレビの影響は凄い!改めて思った)

 思いも寄らない有り難い話で、うちにとっては秋の珍事であった。
 この日は、いつもの『お寺の出前』ではなく、『お寺のお客』だ。・・まぁ、『出前』に行かなくてよいので、楽チンは楽チンか・・。(笑)・・でも、バス大丈夫かなぁ?
 

紙芝居:「出家とその弟子(第一部 悪をせねば生きれぬ人)」(その5)

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(親鸞)「はい、それは〔阿弥陀(アミダ)如来〕という、仏様のお慈悲にすがる方法です。
 この仏様のお慈悲は、この世の善悪を超えて、働いて下さる〔お力〕があるそうです。・・つまり、私たちを〔悪いまま〕で助けて下さるのです。〔極楽〕へ導いて下さいます。
 それがこの仏様のお慈悲です。・・私はそれを信じております。いや、信じなければ生きてゆけません。
 これを〔他力〕の信心と呼ぶそうです。」

(左衛門)「なんと、悪人を悪人のままに救って下さる仏様とは・・。その仏様にすがれば良いのですね・・。はい、私は信じます。・・信じますとも。私にとっては有り難い!」

(親鸞)「しかしご主人、悪人を救って下さるとはいえ、喜んで悪事ばかりを成してはなりません。・・そこの所は、あなた様のような御方にはちゃんとお解かりでございましょう。」

(左衛門)「はい。よく解っております。・・それはニッポンの常識ですっ!いやいや、この時代にはまだ早い昭和の(お笑い芸人の)ギャグでございました。・・失礼しました。」

(親鸞)「今のは聞かなかった事にしまして、・・本題に入りましょう。
 実は、私もこの〔阿弥陀如来〕のお救いのお話を聞いた時、『これで私も救われる!地獄に往かなくても良い!』と思い、思わず泣きました。
 それから、私はずっとこの仏様を信じて、この仏様のお名前、『南無阿弥陀仏』と念仏を称えさせて頂いております。」

(左衛門)「お聖人、私もその仏様を信じとうございます。・・お聖人、もっと、その仏様のお話を聞かせて頂けませんか?・・いや、いっその事、私も出家させて頂けませんか?弟子にして下さい!」

(親鸞)「それはいけません。あなたには、御内儀とご子息がおられます。養う家族がございましょう。・・思いとどまって下さい。
 私の信じている『浄土門』という教えは、在家のままの信心でもあるのです。商人は商人のまま、猟師の方は猟師のままで信じれる信仰なのです。形にとらわれてはいけません。心が大切なのです。
・・おおっ、もう夜が明けようとしている。・・そろそろ、お暇せねばなりません。・・このブログも長くなり過ぎましたし・・、いや一人ごとです。」 つづく(次回、最終回)

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