『世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない』(宮澤賢治著「農民芸術概論綱要」より)
・・台風12号が、近畿地方を中心に被害を出し襲った。
今日現在(9月7日)で、百名以上の死者・行方不明者を出している。亡くなられた方、行方不明の方、又、被災地の方々は本当にお気の毒なことである。 一刻も速い復旧を望みます。又、協力できることは、微力ながら何でも協力させて頂きたいと思っています。(今できることを模索中) 合掌
さて、東北被災地と宮澤賢治の故郷の事を中心に書こうと思っていたのだが、又、このような天災が起こってしまったので、賢治氏の(上記)の言葉から始めた。説明は要らない。正に賢治氏のいう通りだと思う。
(新花巻駅)
東北ボランティアの帰り、急遽時間を作って、宮澤賢治の故郷、岩手県「花巻」まで向かったことは、前回述べた。
JR「新花巻」駅に着き、案内所で行く所を定め、(時間がなかったので)すべてタクシーを使って回ることにした。
まず、行きたかったところは、賢治が農業学校の教師を止め、お百姓さんの真似事をしながら、一人自給自足の暮らしを始めた家が、(『羅須(らす)地人協会』といったそうだ)現・花巻農業高校の内に残っているというのを聞いたので、そこに向かった。
その『現・賢治先生の家』と呼ばれている邸宅は、今も自由に出入りできた。
(花巻農業高校敷地内『賢治先生の家』)
写真で有名なこの宮沢賢治の像の姿は、賢治が尊敬したベートーベンの姿を真似して写してもらったらしい。(あの写真、気分はベートーベンだったのだ!)
その奥に邸宅がある。
有名な『下ノ畑二居リマス』というこの黒板は、今も大切に保管されていて、消え欠けたら、農業学校の生徒たちが上から描くらしい。
又、これは地元の方から聞いた裏話なのだが、この『下ノ畑』というのは、賢治の土地では無くて、無断で借用して使っていたらしい。(それが、ちょっと問題になったとの事だ。・・歴史に埋もれたエピソードである)
そしてこの家の中で、賢治は小説を書いたり、生徒たちを集めて勉強会をしたり、チェロを弾いたりしていたらしい。(『セロ弾きゴーシュ』のヒントとなる)又、今もオルガンも残っている。
又、『風の又三郎』に描かれたマントも展示されていた。(これも賢治が、寒さで苦しむ貧しい生徒の為に、このマントをプレゼントした事が、作品のヒントになっていったらしい)
又、先の『農業芸術概論綱領』もこの家の中で書かれた。
宮澤賢治は、熱心な仏教徒であった。
だから、どうすれば、人は皆幸せに生きる事ができるのか(仏さまのようになれるのか?!)を考え続けた人であった。
おそらく、この家の中で賢治は、一生懸命その事を考え続けたに違いない。
ただ、理想を追求しすぎて、身体を壊し37才の若さで亡くなってしまった。
僕は、『今こそ、あなたのような人が必要とされています』と呟いて、この地を後にした。 つづく