住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「大阪に津波が来た日!」~大地震両川口津波記より(前編)

(はじめに)
 今年の四月半ば、大阪市内のある老人ホームで、『稲むらの火』という紙芝居をさせて頂いた。
 その時、一人の男性から「住職さん、大阪にも昔、津波が来たんやで!・・一度、浪速区大正橋のたもとに行ってみなはれ。慰霊碑が建ってるで。」と言われ、驚いた僕はすぐ現地に行ってみた。
 するとその通り、その慰霊碑は建っていて、その横の掲示版に、この「慰霊碑」が建った由来とその時の津波の様子、被害状況、そして後世の人間たちへ備えまでが書かれてあった。(しかも、現代語に訳され。)
 その内容を読んだ僕は、再び驚き、是非この話を紙芝居にしたいと思った。
 そしてこの度、試行錯誤の上、ようやくこの「紙芝居」が完成した。
 拙い絵と文章はお許し願いたい。
・・が、これがノンフィクションであるというだけでも、この話の発表は意義がある事だと思っている。
 この時期だからこそ、見て頂きたい一作である。
ファイル 703-1.jpg
(播磨屋忠四郎)
「皆様方、この石碑をご存知でっか?
 これは大阪の浪速区、大正橋のたもとに建つ、江戸末期『安政大津波』の慰霊碑でおまんねや。
 そう、大阪にもかつて大津波が来て、ぎょうさんの犠牲者を出しましてんで。
 えっ、お前は誰かって?・・わては〔播磨屋忠四郎〕というこの石碑を建てた商人のひとりでおま。
 えっ、なんで、江戸時代の人間がしゃべっているかとお尋ねでっか?
 それはでんな、平成に起こった『東日本大震災』をあちらの世から見てまして、大阪の人間にも『これは他人事ではないで!』と知らせたかったから、時空を越えてやって来ましてん。」
ファイル 703-2.jpg(今も残る石碑)
 「わてとわての仲間たちは、あの大津波の様子を、この石碑の裏に彫って、後世の子孫たちに、くれぐれも備えて欲しいと思い、建てましてんで。
 では、その様子を今から話しまひょか・・。」 
ファイル 703-3.jpg
 「そう、あれは〔安政元年(嘉永七年)〕、平成の世から云うと、およそ150年前。
 紀州の国(和歌山県)で、《稲むらの火》が燃えたあの日、あの時刻、大阪にも大地震が起こったんです。
 世に言う『安政の大地震』でんな。
 実は、この地震の前の日にも大きな揺れがあって、町の人々は火事を恐れて、水の上なら安心やと、舟に避難する者が多かったんですわ。
・・が、後で考えたら、これがあかんかったんやなぁ・・。」 
ファイル 703-4.jpg
 「安政元年(1854年)十一月五日の夕刻。
 大阪を大地震が襲ったんや。
 そして、恐れていた通り、おちこちで火事が起こりましてん。
 しかし、それより恐ろしい『大津波』が海よりやって来ようとしておりましてん。 つづく・・でおま。

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