住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「極楽のはなし」 プロローグ

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・・「極楽」って、どんな所だろうか?
 字の如く、「楽」の「極まった」世界なのだろうか?
 『お経』によると、食べる不自由もなく、着る不自由もなく、寒さや暑さで苦しむこともなく、光り輝く建造物、薄着の美しい天女、行きたい所へはすぐに行ける、話たいと思えば誰とでもすぐにコミニケーションが取れる・・。
 ・・僕は思う。 それって、現代のことやん。
 エアコン、携帯電話、パソコン、自家用車、24時間開いてるコンビ二。
 まさに、極楽は「今」ここにある。
 ニッポンの歴史が始まって、今日ほど、「極楽」のイメージに近づけた時代が、かつてあったであろうか?!
 ・・で、あるはずなのに、町に行けば皆せかせか急ぎ、笑顔は少なく、うつ病は増え、人を騙したり、いじめたり、そして、スピードの出し過ぎによる信じられない列車事故。車によるひき逃げ、ひったくり、困っていても他人には知らんふり・・、エトセトラ。
 はたして、今は「極楽」では、ないのか?
 『物質』の豊かさが、幸せをもたらさないと云うのなら、『極楽』が、お経で著された意味はどこにあるのか?
 ・・幸せの種子は『物』ではなく、「心」の持ち方によって、地獄にも極楽にもなる。・・と、考えた時、初めてこの両極端な世界を説かれた、お釈迦様の本当の主旨が、少し解ったような気がする。
 前書きが長くなってしまったが・・、そんな事を考えながら、この『極楽のはなし』という紙芝居を作った。
 少し見方を変えてしまうと、この元にした話(菊地寛原作『極楽』)は「地獄のはなし」にもなってしまうという、きわどさもある。 だから、そこは結末を少しアレンジした。(どちらかというと、原作通りの方が僕は好きかも。しかし、それは僕が宗教で、ご飯を食べている理由(限界)から出来なかった)
 まぁ、ごちゃごちゃとプロローグを書き連ねたが、前回の『地獄のはなし』とリンクさせながら、読んで頂けると幸いである。
 それでは、はじまり、はじまりー。 つづく・・っかい?!

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