住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「子供を亡くしたゴータミー」〔完全版〕後編

 ・・かつて、僕はこの2500年前の〔ゴータミー〕と、同じような経験をされたお母さんの話を聞いた事がある。
 そのお母さんも、小さな男の子を亡くされた。
 このお母さん、〔お葬式〕は何とか済まされたのだが、しばらくすると、連日、夕方になると自宅前の公園に現れ、「私の子供を見ませんでしたか?」と、いろんな人に尋ねて回られた。
・・しかし、誰もどうする事も出来なかった。
 このお母さんを救ったのは、その子供の最後を看取った《看護師》さんであった。
 この優しい看護師さんは、お母さんの尋常でない様子を(病院内で)すでに感じ、お葬式後、何度もプライベートで、このお母さん宅を訪ねたらしい。
 そして、訪問する度に、様々な子供を亡くされたご両親達の〔別れの話〕を聞かせてあげたそうだ。又、そのご両親宅へ、一緒に訪問もされたらしい。・・それで、このお母さんは(時間は掛かったが)正気に戻られた。
 ・・何千年経とうと、子供との死別の悲しみは変わらない。
 ただ、今の話の場合、どうやら、〔お釈迦様〕の《お役》は、一人の《看護師さん》がされたようだ・・。
 この2500年の時空を繋げる話を聞いてしまった以上、今度は僕がこの《お役》をさせてもらおうと思っている。・・この『紙芝居』を使って。・・それでは〔後編〕をどうぞ。
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 〔ゴータミー〕は、一軒一軒の家で、それぞれの《別れの話》を聞かせてもらっている内に、だんだんと胸の中の苦い熱い《塊り》が、次第に解けてゆきました。
 「・・そうなんだわ。・・この子は病気ではなく、死んでいるんだ・・。」
 〔ゴータミー〕は、だんだんと正気に戻って来ました。
 「・・あぁ、それにしても、誰もが皆、死別の悲しみを抱えている。・・悲しい別れをしたのは、私だけでは無いのだわ・・。
 ああっ、そうだ! お釈迦様は、それを私に教えようとされたのだわ」
 ハッと気がついた〔ゴータミー〕は、お釈迦様のお寺へと向かいました。
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 お釈迦さまは、〔ゴータミー〕を待っておられました。
「ゴータミーよ、《ケシの実》は手に入ったかな?」
「いいえ、お釈迦様。 『お葬式』を出した事のない家は、世の中に一軒もありませんでした。
・・しかし、私にはもう、《ケシの実》は不要でございます。
 今まで、私は、この子の《死》が信じられませんでした。
 この子は、死ぬはずが無いと思っていたのです。
 しかし、色々な家を回り、それぞれの別れの話を聞かせてもらっている内に、『悲しい別れをしたのは、私だけでは無い』という事に気がつきました。
 すると、胸の中の刺すような痛みが、消えていったのでございます。
 こんな私をも、思いやってくれる人々との出会い。・・私の心は癒されていったような気がします。
 お釈迦さま、私はこの子を《荼毘》に伏したいと思います」
 それを聞いて、お釈迦様は深く頷かれました。
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 燃え上がる、我が子の姿に手を合わす〔ゴータミー〕に、お釈迦様はこうおっしゃられました。
「〔ゴータミー〕よ、生きている者は必ず死ぬんだよ。
 そして、その《死ぬ》という事を知っている者こそが、一日一日を《有難い》と思って、しっかりと暮らしてゆけるのだよ」
「はい、よくわかりました。 坊や、あなたは私に一番大事な事を教えてくれたのね・・、ありがとう・・」
 こうして、悲しみの余り、狂気に陥った〔キサー・ゴータミー〕は、お釈迦様によって救われたのでした。 おしまい

〔余話として〕
・・こののち、仏典によると〔ゴータミー〕は、出家して一生〔尼僧〕として過ごしたと伝わっている。
 しかし、僕は、残された家族の心配もあると思って、あえてこの部分はカットした。(しかし仏典では、あまり〔ゴータミー〕は、家族に大切にされていなかったようなので、思い切って出家したのかもしれない。・・想像だが。 又、出家したのは〔夫も死んだのち〕という話もある。『テーリガータ』より)
 また、「紙芝居」では、子供を《荼毘》に伏しているが、仏典では、ゴータミーは、子供の遺体を墓場に残し、お釈迦様の元にひとり向かったと書いてある。
 これも偲びがたい話なので、「紙芝居」では、お釈迦様も参加してもらい、〔お説教〕も入れ、荼毘に伏す場面をつけ加えた。
 本当は、子供の遺体を《ガンジスの河》に流す場面で終ろうか、と思ったのだが、やはり日本風な《荼毘》の場面にすることにした。
 ・・以上、仏典と少し違うところを〔余話〕ながら付け加えました。 本当におしまい。
〔出典〕: パーリ伝『クッダカニカーヤ』(長老尼の譬喩)より
 〔参考文献〕:『新訳仏教聖典』〔大法輪閣発行〕より

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