今から、或る『老人ホーム』で亡くなられた方の「お葬式」の読経に行く・・。
一人の身寄りの無い御老人(男性88才)のお葬式だ。
・・が、身寄りはあるらしい。
娘さんが居られるらしい。
どのような事情かは解らぬが、娘さんとは『絶縁状態』なのだそうだ。
だから、(娘さんは)お葬式には来られない。
お骨も受け取らないらしい・・。(後見人の弁護士さんからお聞きした。 遺言によって、別の或るお寺に納骨することが決まっている)
昨日、施設職員の希望により、僕はその『お葬式』の執行を引き受けたのだが、今なんとも気が重い。
昨夜、施設のそばの葬儀会館へお通夜に行ったのだが、会葬は、施設の職員二名と後見人さん一名だった。
『葬儀社』もお金にならない、そのようなお葬式には素っ気がなく冷たい。
会葬者もいないので「明日は、15分ほどで終わってほしい」とも言われた。
・・昨日の帰り、車を運転しながら考えた。
『家族がある』という、当たり前の幸せ。
「お骨をどうしようか? お墓へはいつ納骨しようか? 弁当はどこで頼もうか? あーだ、こーだ」と言い合い、悩める親族がある、当たり前の幸せ。
我々は、その『当たり前の幸せ』にもっと感謝すべきではないかと・・。