住職のつぼやき[管理用]

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筋ジストロフィー青年との会話記録 その5

 N君が入院していたT病院は、T療養病院とも呼ばれていた。
 ここは、子供達の為に養護学校(現在は支援学校という)も併設されている。
 僕がN君に会いに行くと、よくクラブ活動を終えた子供達が、隣接するその学校から、車椅子や移動式ベットで部屋に帰ってきて、よく顔を合わせた。その度に挨拶や雑談などもするようになり、やがて顔馴染みにもなっていった。
 彼等はよく口に割り箸を咥え、(手が不自由なので)テレビゲームのボタンを押し操作し遊んだりしていた。ある時、僕が「何のゲームをしてるの?」と聞いたら、「人生ゲーム!」と答えてくれたのを覚えている。

平成8年6月13日の記録
 今日は死亡者が出た飛行機事故のニュースをテレビで見てから、T病院に向かう。
 僕はN君の顔を見て、開口一番、「・・ほんまに一寸先の事はわからんなぁ。君は人間の運命を信じるか?又、死んでも魂ってあると思うか?」と言った。
 彼は笑いながら「その問題は、宮本さんの専門分野じゃないですか」と切り替えし、しばらくして彼は「僕は『宮沢賢治』と一緒で、死んだら宇宙の中の塵のひとつとして吸収されて還っていくと思います」と言った。
 彼の死生観が少し判ったような気がした。

平成8年7月14日の記録
 今日は、N君の体調が思わしくなかった。
 機嫌も悪く、あまり喋らない。
 髪の毛もボサボサでフケが溜まっている。「頭を掻いてあげよか」となかなか言い出せなったので、一緒にテレビを見る。
 突然、外でカラスが鳴いた。彼は、その時ふいに「カラスって損ですよね。鳴き声も汚いし、身なりも良くないし、不吉やと思われてるしなぁ・・」と言った。
 僕は「でも、和歌山の熊野地方ではカラスは〔神さまのお使い〕やと云われてるで」と言った。
 すると彼は「ああ、そうでしたねぇ・・」と力無げに言った。
 この調子では、来月のY文化会館での『詩の朗読会』に出席できるかどうか心配だ。
 帰りの廊下がやけに長く感じた。
 
平成8年8月25日の記録
 今日、Y文化会館でN君の『詩の朗読会』が盛大に行われた。
 ・・が、本人は体調が悪く欠席となり、ビデオでの挨拶となった。画面上での彼は、キレイに散髪して、元気そうに挨拶していたが、回りの治療器が増えていて、又、個室の様だったので、あまり思わしくないのであろう。
 彼はこの『朗読会』に出席するのが、目先の生きる希望だと言っていたのでさぞ残念であろう。
 ・・が、『朗読会』自体は、会場は満席となり大成功だった。ボランティアさんが代わりに朗読し、彼の詩に曲をつけて演奏までしてくれたりして、大いに盛り上がった。
 お客さんは、どんな風に感じたのだろうか?
 願わくば、今日来てくださった人たちが、一人でも良いから、T病院に訪問してみようと思うことを願いつつ、会場を後にした。
 つづく


 

筋ジストロフィー青年との会話記録 その4

 このブログを書くに当たり、今日の朝、久しぶりに故・N君宅に電話を掛けた。
 お母さんが電話に出られたので、「皆さん、お変わりございませんか?」とお聴きすると、「・・実は昨日が夫の四十九日(満中陰)でして・・、」と言われたので、びっくりしてしまった。
 僕はまったく知らなかった!
 死因は〔脳梗塞〕だったそうだ。
 「長男が亡くなり、次男のMっちゃん(=N君)が亡くなり、夫が亡くなり、ついに私は一人ぼっちになってしまいました。これから私も何か生きがいを見つけないと・・」と寂しそうに言われた。
 僕は、N君との思い出話をしばらくお母さんとしながら、不思議なことだと思った。
 ひょっとしたら、このブログを書こうと思ったのは、お浄土からのN君親子の依頼だったのかもしれない・・。

平成8年4月14日の記録
 今日、T病院で初めてN君のお父さんと会う。(お母さんとは、一回目に出逢っている)
 お父さんについては、N君から色々と情報を聞いて知っていた。
 N君は、自分のお父さんがあまり好きではない・・らしい。
 ワンマンな性格で、いつも会えばケンカになるらしく、間に立つお母さんが大変らしい。
 しかし、今日、僕が見るに、結構二人は仲良く喋っていたように思えるが・・。

平成8年5月14日の記録
 今日行くと、お母さんが来ておられ開口一番、僕に「エエ時に来て下さった。Mっちゃん、雨の日が続いて落ち込んでいたんですわ」と言われた。
 M君の病気が、天候に左右されるのかどうかは知らないが、今日は良いタイミングだったらしい。
 いつもと違って彼の方から色々と話掛けてきた。たとえば、「結婚しているのですか?」とか、「子供さんはいますか?」とか、「なぜ、お坊さんになろうと思ったのですか?」などと次々と聞いてきたのだ。
 ひょっとしたら、誰でも良いから、無償にお喋りがしたかったのかもしれない・・。
 そんな問いに答えていたら、担当医の先生が来られ、僕に向かって「あなたは誰ですか?」と聞いてこられた。
 お母さんが、その答えに困り「・・ボランティアさんです」と言ったので、僕は「そんな大層なもんと違うよな。ただの友達やな」と言ったら、N君もすかさず「そうや、友達や」と言ってくれた。
 何気ない会話であったが、友達と認めてくれた様で嬉しかった。
 つづく

 
 
 

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