住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『源信さまと地獄・極楽の話〔往生要集より〕』 第2部~その1~

ファイル 194-1.jpg (仏教もの23)
源信僧都(ソウズ):「皆様、こんにちは。私は平安時代の僧侶で名を《源信(ゲンシン)》と申します。
 これから全四回に渡り、私の書きました『往生要集(オウジョウヨウシュウ)』という本を紐解き、《地獄・極楽》の旅を皆様とご一緒に楽しみたいと思います。
 尚、最初に一言お断りしておきますが、私はやたら人を怖がらす為にこの本を書いたのではございません。そんな変な趣味は、このブログの作者と違ってありません。
 私は《念仏》を称えるという一つの方法によって、このような地獄には往かせず、必ず極楽へ皆様を生まれさせたいと願ったからなのでございます。そこんとこ、よろしく!・・ああ、これは昭和のギャグでございましたね。しっつれいしました!・・ああ、これは吉本の漫才師のギャグでございましたね。・・何、「もうええから先へ行けと」とわかりました。それではまず『地獄』へ向かう前に《輪廻(リンネ)》のことからお話しておきましょう。」
ファイル 194-2.jpg
「《輪廻》とは、仏教が生まれる以前からあったインドの考え方で、〔人が亡くなっても、又違う世界に生まれる〕という考えでございます。
 その世界を下から順に言いますと〔地獄界〕・〔餓鬼界〕・〔畜生界〕・〔修羅界〕・〔人間界〕・〔天界〕の六つを言います。すべての命は、この六つの世界のどこかに生まれ、亡くなれば(生前の行い)によって、又どこかへ生まれる--という思想です。
 皆様は、『〔天界〕に生まれる事が出来たらラッキーじゃないか』とお考えかも知れませんが、〔天界〕でも《死》が来て又別の世界に生まれなければならないのです。
 ですからこの《輪廻》という〔輪〕から脱出するには、〔欲〕を断ち切った世界である《第七番目》である『極楽世界』へ行くしか方法がないのです。そこに行けば、もう《輪廻》で苦しむことはないのです。・・これが、甚だ簡単でございますが《輪廻》という考え方なのです。
 それでは、もうプロローグはこのへんにしまして、『地獄』へとご案内致しましょう。・・えっ何、『長いからもうこのへんにして〔つづく〕にしろ!』とハイハイ、このブログの作者が疲れたようでございます。・・最近、この作者、お葬式が続いてヘバッテルようなのでございますよ。ひ弱な奴でございますねぇ・・。私なんぞ、比叡山でどれ程厳しい修行をしたか!・・何、もうそれはエエって、それでは、今回はこの辺で・・つづく」

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