住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『源信さまとお母さん』 第1部 (後編)

(前回からの続き~)
 『源信』さまは、お母さんからの手紙を読んで「あっ」と驚かれました。なんとそこには、次のように書かれてあったのです。
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「源信へ あなたは〔天皇〕様に褒められたとか、位が上がったとか、という事を自慢げに思っているようですが、それは私にとって嬉しいことではありません。本当に偉いお坊さんとは、迷っている人や苦しんでいる人に、仏様の教えをしっかりと伝える人だと思っています。記念の《布》は入りませんからお返しします。どうか私のような年取った者が、安心して死んでいけるような教えを説くお坊さんになって下さい。それが母の願いです。 母より」
とそこには書かれてありました。
 これを読んで『源信』様は、ポロポロ涙を流して泣きました。(エエおかんやなぁ・・)
 そして「お母さん、有難うございます。私が間違っておりました。私にとって《お母さん》こそ、お師匠様です。よく教えを守ってしっかりやりますので、どうかご安心下さい」と、『源信』様は心に強く誓いました。
 そして早速、比叡山の更なる山奥である〔横川(ヨカワ)〕という所に閉じこもり、(母の死を機縁に〔横川〕に隠遁したと言う説の方が有力ではある)真剣に仏様の道を求めました。
 こうして『源信』様は、更に徳の高いお坊さんになっていったのでした。
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 それから何年かが経ち、ある日、お母さんが《危篤》との知らせが届きました。
 『源信』様は居ても立ってもいられなく、急いで山を降りて故郷へ向かいました。
 家に着いた『源信』様は、やせ細ったお母さんの手を握り締め、《念仏》を称えることを勧めました。
 声にならない母の《念仏》と、『源信』様の《念仏》の声は、互いに共鳴し合い、そこに静かな安らぎの場が生まれました。念仏を共に、繰り返し繰り返し称え、そしてやがて夜明け前に、お母さんは静かに息を引き取りました。
 『源信』様は「私はお母さんとの《ご縁》が深かった。だからこうして死に目にも会うことができた。これ程嬉しいことはない」と心からそう思いました。
 このような体験から・・、
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 『源信』様は、《二十五三昧(サンマイ)式》という、現在のホスピス医療(緩和ケア)の走りともいうべき御本をお書きになり、『念仏に帰依した二十五人の仲間が毎月、日を決めて一晩、念仏を称えて、仲間の最後の時は、必ず介護・看護し看取り合う団体』=《二十五三昧会(エ)》という《結社》(秘密結社〔ショッカー〕みたいなものではない!そんなん言わんでもわかってるか〔笑い〕)をお作りになり、実践されました。
 又、恐ろしい地獄や美しい極楽の様子、そして念仏往生の大切さを書かれた『往生要集』をも書かれ、遠く中国からも絶賛されました。(この『往生要集』は第2部の「紙芝居」で詳しくご紹介いたします!)
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 さて、お母さんの多大な影響を受け、この日本に偉大な足跡を残された『源信』様は76才でご病気でお亡くなりになります。
 その最後は、ご自分の書かれた『臨終行儀(リンジュウギョウギ)』の方法そのままに、阿弥陀様のご仏像のお手とご自分のお手を〔五色の糸〕でしっかり結ばれ、念仏を称えながら亡くなられたという事です。 第1部 おしまい
 
〔第2部の『源信さまと地獄・極楽の話(往生要集)』へ続く・・〕 
 
 

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