住職のつぼやき[管理用]

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映画『おくりびと』を見て・・・

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 先日、映画『おくりびと』を見てきた。
 この映画は、ご遺体を棺に納める『納棺師(ノウカンシ)』を描いた日本の作品である。
 実はこの作品、以前僕は《葬儀・仏事情報紙》で内容を知って、封切られたら絶対見に行こうと決めていた。
 ・・が、きっとヒットしないマイナー作品だろうと思っていたので、はたして、僕の知っている近くの映画館で上映されるかどうか不安であった。・・が、なんと《モントリオール世界映画祭》で〔グランプリ〕を受賞したので、そんな不安も吹き飛び話題となって、近くの映画館でもやってくれた。
 さて、映画を見た感想であるが、一言で言えば「感動した!」。今年見た映画の中で一番素晴らしかった。
 ストーリーは、新人納棺師〔本木雅弘氏〕が、さまざまな「おくり」を通して、愛することや生きることを紡ぎ出し、時にはユーモラスに、時には感動的に『納棺師』の日常を描いている。
 映画の中で、ひとり又ひとりと人が亡くなって、その『納棺』の儀が終るたびに、主人公たちが、目一杯、食物を口にほおばり、自分が生きてる事を再確認するような場面が出てくる。
 これを見て、僕も「そうや、そうや、僕もお葬式が終る度に無償に食欲が湧き、食べることによって(自分は今、生きてる!)という事を再確認することがあるんや」とすごく共感した。
 
 僕はこの映画、きっとお寺の友人も関心を持つだろうと思って聞いてみたら、皆、案外関心がなかった。
 たとえば、「そんな〔ご遺体〕を扱う仕事の話なんて、生々しくて見たくないわ」とか、「この大阪で、『納棺』専門の仕事師なんておらんで。みんな『葬儀屋』さんがやってくれてるもんなー。どっか地方の話やろうから、興味ないわ」とか言われた。(そんなもんなんやなぁー・・)
 
 僕は、人が亡くなったら〔枕経〕に呼ばれて、ご遺体の横でお経をあげる。
 僕がその場に到着した時、すでにそのご遺体は、〔エンゼルメイク〕も済み、お顔の鼻や口には脱脂綿が詰められ、白い着物を羽織、手は合掌され念珠をかけられている。
 つまり、旅立ちの仕度はすでに整っているのだ。
 だから、読経するだけで良いので、楽と言えば楽なのである。
 が、たまに、葬儀屋さんよりも早く、僕がそのお宅に到着する事があり、その時、ご遺体の横で後から来られた葬儀屋さんの仕事を見ることになる。それは大変な重労働である。なぜならご遺体は、死後すぐに硬直し始めるからである。
 それで『ゴキッ、バキッ』とか音が鳴り、骨を折って合掌ポーズを無理やり取ったりされる。見ていて痛々しくもあり、でもこれをしなければ始められないので、割り切ってじっと見ている。
 僕はそれを見て、いつも『僧侶』はずるいと思う。
 それは自ら重労働で手を汚すことなく、又、たまにであるがテンションの上がった遺族さんの罵声も浴びせられず、〔キレイ〕な仕事だけしかしなくて良いからだ。
 だからこそ、僕はこの〔僧侶〕という仕事を(自分にできる範囲で)精一杯する事に決めている。

 ・・なんとも、長くまとまりのない文章になってしまったが、今回この映画を見て、改めて、自分の仕事への情熱を再確認した次第である。
 
 

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