住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『おこり地蔵』 

 何年か前、広島のお寺に〔紙芝居講演〕で行った帰りに、《原爆記念館》を寄った。その時に、そこで見つけたのがこのお話。・・実は以前から、「『おこり地蔵』を紙芝居にしてはどうか」と元教員の檀家さんに言われていたのだが、すっかり忘れていて、又ストーリーもしっかり把握していなかった。 
 が、・・ここでこの本と出会うという事は、作らねばならない時が来たのだなと勝手に思い、作ったのがこの紙芝居。
ファイル 147-1.jpg 〔文学もの9・山口勇子原作〕
 昔、日本が世界のたくさんの国々と戦争をしていた頃のお話。
 広島の或る横丁に、小さな〔お地蔵さん〕が立っていた。そのお地蔵さんは、「うふふ・・」と、笑った顔をされていたので、皆は〔笑い地蔵〕と呼んでいた。
 ある日、ひとりの女の子が通りかかり、「あっ、お地蔵さんが笑ってる」と言って、自分も「うふふ・・」笑った。このように、このお地蔵さんは皆から愛されていた。
 昭和20年8月6日、この日もお地蔵さんは笑った顔で立っていた。
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 午前8時15分。
 真っ青な空に、急に敵の飛行機が現れたと思うと、グーンと高度を下げ、広島の町の真ん中に《原子爆弾》を投げつけた。
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 一瞬、あたりが白っぽい、ギラギラした光に塗りつぶされ、広島は大爆発を起こしていた。それは、まるで太陽が落ちて来たとしか言い様のない光景であった。
 ビルも家々も電柱も火の塊となって、地面に叩きつけられ、空に吹き飛ばされた。
 火は太い柱となり突き上がり、空の上で大きな塊に広がった。赤、橙、黒、色々な色が混じり合った火の塊は、まるで大きな毒キノコのようであった。
 目はつぶれ、耳は破れ、身体中、焼け爛れた人々が「いたいよー」、「助けてー助けてー」とあたりを這いずり回って叫んでいた。
 〔笑い地蔵〕も吹き飛ばされた。『ずっどーん!』と石の地蔵は、焼けた砂の上に落ち、笑った顔だけが、地面の上から覗いていた。
 焼けちぎれたシャツを着た人や、髪の毛までチリヂリに焼けたお母さんが、死んだ赤ちゃんを抱いたまま、お地蔵さんの前を通り過ぎて行った。
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やがて、焼け野原となった広島の町の向こうから、ひとりの〔女の子〕がゆらゆら揺れるようにお地蔵さんの所にやって来て、ばったり倒れた。
 その子は、あの「うふふ・・」と笑った女の子であった。女の子は、お地蔵さんの見つけると母親と勘違いして、「母ちゃん、水、水が飲みたいよぉー」と言った。
・・が、水などこの焼け野原に一滴もあるはずがない。
 女の子の声が、しだいに弱弱しくなってきた時、不思議なことが起こった。
 なんと〔笑い地蔵〕の顔に力が入り、
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口は真一文字になり、目はカッと見開き、まるで仁王さんのように変わったと思うと、目から、溢れるように涙を流し、女の子の口へと流れて入った。
「うっくん、うっくん」と喉を鳴らしながら、その涙の水を飲んだかと思うと、女の子はやがてがっくりと前に伏せて亡くなった。
 そのとたん、一杯一杯に張り詰めたお地蔵さんの顔が、『もうこれ以上耐え切れん!』という風にぐさ、ぐさ、ぐさっと砂の粒になって崩れ落ちた。
 こうしてこのお地蔵さんは、〔胴体だけの頭のない地蔵〕となった。
 やがて、何日も何日も経ち、・・このお地蔵さんは、又、誰かに抱き起こされ、祀られることになった。
「頭がなければかわいそうじゃ」と誰かが、丸い石を胴体に乗せて、顔の代わりにした。
 その丸い石は、三つの窪みがあって、目と口のように見えたのだが、その窪みはだんだんと怒ったような形になっていき、誰からともなく、このお地蔵さんを《おこり地蔵》と呼ぶようになったという。
 そして今でも、広島の或る横町に、怒った顔でじっと立っているということじゃ。おしまい

 この《おこり地蔵》のお話は、実はモデルとなった本当の《お地蔵さん》があり、今は、四国は松山の『龍仙院』というお寺で祀られているという事です。
 詳しくは、http://simoiti1329.web.infoseek.co.jp/tuika/06.okorijizoumatuyama.htm 

 
 

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