住職のつぼやき[管理用]

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『怨みを捨てて・・・』後日談

 昨日は、『怨みを捨てて・・・』という紙芝居をダイジェストで、紹介させてもらった。
 実は、この紙芝居について、もう少し述べたいところが(三つほど)ある。
 まず最初、経典では〔チョウジュ王子〕は〔長寿王子〕、〔チョウサイ王〕は〔長災王〕と漢字で書かれてあるのだが、設定がインドなのに中国人のような名なので、わざとカタカナの名前にした。
 ちなみに〔チョウジュ〕と書きながら、〔チェ・ジュウ〕ばっかり、思い出してしまった僕は、〔煩悩王〕だ・・。

 二つ目。このお話(経典)には、実はまだ続きがある。
 紙芝居の終わりでは、主人公の〔チョウジュ王子〕は、父の仇であった〔ブラフマダッタ王〕と和解し、自分の国を返してもらい、それから共に親睦を深めた・・という所で終わったのだが、実は〔ブラフマダッタ王〕はお詫びの証として、自分の娘を〔チョウジュ王子〕に妃にと嫁がせるのである。そして、やがて二つの国は大いに繁栄するという所で本当に終わる。
 これはこれで良いのだろうが、僕の心はひっかかる。
 和解までは良いとしても、お詫びの証として娘を差し出したというのは、いかがなものか?
 又それを〔チョウジュ王子〕は、どう思ったのだろうか?仇を許したとしても、その娘を妻とし、王子はどのような気持ちで妻を愛したのだろうか?
 僕なら心中穏やかではない。・・そんなことを描いた後に思った。

 三つ目。なぜ、仇が討てる瞬間に、父の言葉を思い出してしまったのだろうか?
 「それで良かったのか!〔チョウジュ王子〕!」と今でも《忠臣蔵》大好き人間の僕は思ってしまう。
 これについて、以前この紙芝居をした後、お客さんとディスカッションしたことがある。
 その方は言われた。「王子は無意識ではあるが、ずっと自分の心に、父の遺言が根を張り、《怨みに対して、怨みで返したとしても誰も幸せにはなれない。父も決してそれを望んでいない》と思っていたのではないだろうか?だから決行できなかったのではないか?」と・・・。今もこの言葉が僕の心に残っていて、僕を揺さぶる。
 無駄になるかもしれないが、大事なことはやはり言っておくこと・・それが大切な事なのかもしれない。

 ・・怨みの連鎖、それを止めるのは、やはり《怨みを捨てる》という方法しか、ないのだろうか?
・・そうなのですか?おシャカ様! どうか教えてください! オウ、マイ、ブッダ!!
 

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