住職のつぼやき[管理用]

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『坊主が屏風に・・・』の話 その2 《宗派を選ぶ権利》

今回は、僕が毎月「法話会」で行っている老人ホームで聞かせていただいたお話をしたい。
その日、僕はいつものように会を終え、後片付けをしていると、いつまでも部屋にお戻りにならずに、『絵像屏風(別名「坊主が屏風に坊主の・・」もう、ええか?)』をずっと見ておられる車椅子の男性がおられた。きっと何かお話があるのだろうと、お声を掛けさせていただくと、この男性は次のようなお話をされた。
 「この屏風に描かれたお坊様達(「最澄様」「栄西様」「道元様」など)は、昔の人だけど、それぞれにやはり我々と同じように悩みを抱いて、それぞれが独自の方法を見つけて『苦』の解決をされたのですよね・・。この宗祖たちも、やはり最後は死んでいったけれど、何かを残してくれたから、今でも崇められているのでしょう。それを私は知りたい。それぞれの『苦』の解決方法を知りたいのです。その中から、自分にあったものを見つけたいのです。それを自分の《死への準備》にしたい。そんな一人ひとりの宗祖の紙芝居を描いて下さい。そして、それを分かり易く教え伝えて下さい・・。
お釈迦様が亡くなった後、このお坊様達は世に出られた。今、あなたもこの方達と同じ衣(ころも)を着けているのだから、お釈迦様の教えを受け継がれたこの方達と、同じ立場にいるのではないですか?この宗祖の方々のお話しを伝えて下さるということは、宗祖方と同じことをするのではないでしょうか?是非お願いします」と・・。
そう、お話されて帰られた。
この言葉は堪えた。この時から、僕は色々なお坊さんの紙芝居を描こうと思ったのだ。それがこの《出前メニュー》にある《僧侶もの》シリーズの「紙芝居」だ。(これらの作品はこのHPで追々紹介していきたいと思っている。)しかしまだ描いていない宗教者はたくさん居られるので、少しでもこの男性の期待に応える様にこれからも、まだまだ作っていきたいと思っている。この男性の「自分にあった宗教・宗派はこれです!」という声を聞くまでは・・・。

『坊主が屏風に坊主の絵を書いた屏風』の話 その1

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出前に行かせていただく老人ホームや病院など、多くの場合『仏間(ぶつま)《仏壇のあるお部屋》』がない。
ゆえに、施設苑内で「法話会」を開き、お話をさせていただく場は、たいてい食堂や多目的ホールになる。
・・である為、『お寺の出前』と言いながら、なかなかお寺の雰囲気が出せない。(僧侶の着物姿でお話はするのだが・・)
それで・・、「それはそれで仕方がない」と思っていた或る日、施設内で仲良くなった一人のお年寄りの女性から、ホールで法話会が終わった後、「ホンマにここに来て、お話を聞かせてもろたら、お寺の居るような感じがします」と言われた。もちろん、それは僕へのリップサービスであろう。・・とわかってはいるけど嬉しかった。そして、「この場をもっとお寺らしい雰囲気にしたい・・。その為には御本尊となる仏像を置きたいな」と思った。
が・・、施設に仏像を持って来るのはご法度だった。それは「他の新興宗教の入所者の方からクレームがつく」と職員さんから言われたからだ。
それで考え作り出したのが、《写真》の屏風である。これは『絵像屏風』と言い、別名『坊主(僕)が屏風に坊主の絵を書いた屏風』という(笑)。ちなみに「じょうずに」は入っていないからあしからず。さて、この屏風は折りたたみ式で広げれば畳三畳ぐらいの大きさがある。真ん中がご本尊の《仏様》で、手から鈴付きの五色の紐が伸びるようになっている。これは、寝たきりの方の所へ持って行った時、「今、仏様とつながっていますよ」と言いながら、この紐を握ってもらいお話する為の装置である。・・そして《ご本尊》の回りには平安・鎌倉時代の宗派を作られた祖師方「親鸞様」「法然様」「日蓮様」「空海様」方などを、だいたい?オールスターキャストで似顔絵を描かせていただいた。そして、この屏風を『出前』の本尊とし、現在も講演には必ずこれを持って行き、日夜《お寺もどき》の雰囲気作りに励んでいるのである。ちなみに、これを見た新興宗教の方々からの苦情は未だない・・。めでたし、めでたし。

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