昨日、お寺の庭で一匹の「でんでん虫」を見つけた。
お参りから帰って、写真を撮ろうと元の場所に行ったら、もう居なかった。(鳥にでも食べられてしもたか?)
・・実は今(同時進行で)、生き物を主人公にした二つの(子供向きの)「紙芝居」を作っている。
その一本が「犬たちをおくる日」というお話で、
もう一本が、「でんでんむしのかなしみ」という、新美南吉さんの童話なのである。
それで今、でんでん虫に凝っているのだ。(写真が撮れず残念!)
知っておられる方も多いと思うが、ちょっと(掻い摘んで)ストーリーを書いてみる。
こんな風に始まる。
『一匹のでんでん虫がありました。
或る日、そのでんでん虫は大変な事に気がつきました。
「私は今までうっかりしてたけれど、私の背中の殻の中は〔悲しみ〕が一杯詰まっている。(もの凄い、うっかりやなぁ。〔笑〕)この悲しみは、どうしたらよいのだろうか?」と。
それでそのでんでんむしは、他の友達のでんでん虫の所に行って、「私はもう生きてられません。私は何という不幸せものなのでしょう。私の背中は悲しみで一杯なのです。」と言う。
すると、友達のでんでん虫は「あなたばかりじゃありません。私の背中も悲しみで一杯です」と言う。
それでしかたなく、最初のでんでん虫は、別の友達のでんでん虫の所に行って、同じ悩みを打ち上げるのだが、その友達もやはり同じことを言う。
こうして、順々にいろんな友達を訪ねて廻る最初のでんでん虫なのだが、どの友達も結局同じことを言った。
そしてとうとう、でんでん虫は気がついた。
「悲しみは誰でも持っているのだ。・・私ばかりではない。私は私の悲しみを堪えていかねばならないのだ」と。
そしてそのでんでん虫は、もう嘆くのを止めました。おしまい」というお話である。
単純なお話だが、素晴らしい!
でもこれって、仏典『子供を亡くしたゴータミー』の話が元やん!・・と、仏典好きのお坊さんなら誰でも気が付くだろう。
おそらく新美南吉さんも、この『ゴータミーの話』をどこかのお寺か、又お坊さんか、又、仏典を読んだかして聞いたのだろう。・・それを『でんでん虫の話』にした。(でもその発想力が凄いと思う!)
で、子供たちにも(ゴターミー大好き僧侶の)僕が、この『でんでんむしのかなしみ』を紙芝居にして、上演しようと思っているのである。
もうすぐ夏休みであり、今、たくさんの学童保育やら子供たちの集会から『紙芝居法話』の出前注文を聞いている。
なんとか急いで、夏休みまでにこれらの紙芝居を完成させたいと思う。
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