住職のつぼやき[管理用]

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虚(むな)しさ度数

 僕は『歴史』が好きだ。
 「温故知新」という言葉があるが、正に「古い時代の(愚かで愛しい人間の)生き方を知ってこそ、(今をより良く生きる)人の道が見えてくる」と思っている。
 ・・が、たまに「古きを尋ねても『ど壷』にはまるだけやなぁ」と思う事がある。
 古きを尋ねても(結局、今をどう生きたら良いか解らず)どうしようもないと感じてしまうのだ。
 今、NHKテレビで「平清盛」という大河ドラマが放映されているが、(話が複雑すぎて、人気が無いそうだが・・)僕はこの(源平の)時代は結構好きである。
 正にこの平安末期から鎌倉時代初期までの『平家』全盛と没落の時代を観ていると、「人間ってあほやなぁ。でも、僕もおそらく(解ってても)同じようにアホの道を進むやろなぁ。・・ほんま諸行は無常なんや。お釈迦さん、ええこと教えてくれてありがとさん」と思ってしまう。
 たとえをいう。
 平清盛は、「平治の乱」で勝利を収めた時、敗戦側の武将の子「源頼朝」と「牛若丸(のちの「義経」)などに、情けをかけて命を助ける。
 が、やがて、その頼朝や義経たちは大きく成長し、平家を滅ぼしにかかる。
 きっとその時、「清盛」は思ったに違いない。「あぁ、あの時、あいつらを殺しとけば良かった・・」と。
 でも、ひょっとすると清盛は人間の器が大きいため、「いやいや、あの時はあのように(情けをかけた)選択して良かったのだ。けっして俺は、人間として間違ってはいなかった」と思ったかもしれない。
 反対に、平家を滅ぼし『源氏』の時代を開いた源頼朝は、ライバルでいとこの『木曽義仲』を滅ぼした時、人質として預かっていた義仲の息子を「いずれ(自分と同じように)成長したら、必ず俺に仇なす」と思い、殺してしまう。
 が、この息子は、頼朝の娘のいいなずけであった。
 自分の結婚相手を殺された娘は、そのショックで一生独身を通し、若死にする。
 頼朝は、その時どう思ったろう。
 「私はかわいい自分の娘の一生をむちゃくちゃにしてしまった。・・はたして、あの(娘婿予定の子の命を奪うという)選択をとって良かったのか?・・いや、あの時は、あの方法しかなかったのだ。」と、思うだろうか?
 どっちみち、(今も昔も)人間は『後悔』せずには往き抜けないのでないだろうか?
 ならば僕なら、結果的に不幸になっても、『人間としての優しさ』を選んだ、『平清盛』の選択に好意を抱き、(スケールはちっちゃくても)同じような道を選んでしまうだろう。
 どっちみち、人は『後悔』はさけられないのだから、僕は死ぬ前の『虚しさ度数』の少ない道(選択)を選びたい。
 

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