道綽(どうしゃく)さまは、朝、目が覚めてから、夜、眠るまで時間を惜しんで『念仏』されたそうです。(思い立ったら、とことんやるタイプだったのですね。・・こんな人、一学年に一人、学校に居りましたよねぇ。〔笑い・・笑てどうすんねん!〕)
その『念仏』の数は、一日〔七万遍〕を超えたそうです。(一時間は3600秒で、一日24時間ですから、一日86400秒。一秒間に一回念仏を称えたとしても、一日20時間近く念仏を称えなければ、七万遍になりまへん。・・ようやるわ。・・こんな人、一学年にひとり、おりまへんなぁ。)
まぁ、それ程、念仏に打ち込まれたのです。・・この御方は。
又、その念仏の数が正確と解るように、〔モクゲンジ〕や〔小豆〕の種で、計算された伝わっています。
そして道綽さまは、言われました。
「皆さ~ん、世の中は乱れ、人の心も悪くなり、罪を作るより他何もできません。
私たちの救われる道は、お念仏なのですよ。
さぁ、皆さんご一緒に念仏を申しましょう!」と。
「さぁ皆さん、お念仏を一回称えることに、お数珠の珠を一粒、動かしてください」と、道綽さまはみんなに教えて、念仏の数を競争させてものですから、皆もう熱中して大変でした。
ナムアミダブツ、ナムアミダプツ、ナムアミダブツ・・・。
このように、玄中寺にお参りするたくさんの人の念仏の声は、一日中、波(ウエ~ブ)のように辺り一面、響き渡りました。
こうして玄中寺には、連日、道綽さまを慕ってたくさんの人がお参りに来られ、念仏の声が途絶えた日は無かったそうです。
さて、その道綽さまがご病気になられたのは、84才の時でした。
心配して駆けつけて来られた多くの方に囲まれて、道綽さまは西を向いてお話なさいました。
「みんな、私は先に往って待ってるからね。みんなもお念仏を喜び、極楽に生まれさせてもらいなさいよ。」と言って、いつものような笑顔のままで、息を引き取られたそうです。
その後、たくさんのお弟子の中から、《善導(ぜんどう)大師》という御方が、道綽さまのお心を受け継がれ、さらにお念仏の教えを広めてゆかれるのですが、それは又、別の『紙芝居』。
道綽さまのお話は、これにておしまい。
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紙芝居:「念仏もうせ物語~道綽禅師のはなし」(後編)
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カンネン亭 2012年04月27日(金)11時37分 編集・削除
・・そうですね。
時代も違えば、お国柄も違う。
幸せになるための道を見つけるのは、いつも大変なことかもしれません。
僕も、さぁ~がっそっと。
愛子 2012年04月27日(金)01時48分 編集・削除
14歳で、この世の事や未来のことを考えるって
凄いことですね。
昔の14歳はもう大人だったのかもしれませんが
息子が14歳なのでこの歳で・・・と思ったら
凄いことだなと思います。
末法思想の末法と同じですよね?
時代によって考え方も修行の仕方も変わってくるのは
当たり前と言えば当たり前なのでしょうけど
自分の信じる道を見つけるのはすごいことですね。
しかし・・・
紙芝居作るのは本当に難しそうです。