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紙芝居:「カルピスを発明した僧侶 ~三島海雲伝~」 (その2)

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 こうして〔海雲〕は、24歳の時に中国大陸に渡ります。
 中国に着いた海雲は、中国人に日本語を教える一方、自分も中国語を学びます。
 ・・が、やがて中国で知り合った日本の友人に誘われ、教師を止め、一緒に会社を設立し、商人になるのでした。
 この時、海雲は〔僧侶〕の資格を返そうとしますが、本願寺の門主〔大谷光瑞〕師に諭され、僧籍は返還しませんでした。
 のち、海雲は亡くなるまで商人でありましたが、心は僧侶であろうとしました。
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 そして海雲は、北京の町で行商をして歩き、商売の基本を身につけてゆきました。
 さらに日露戦争が始まった為、海雲は軍馬の調達の仕事の為に、モンゴルに出かけてゆくことが多くなりました。
 しかし何度となく、中国とモンゴルを往復している内に、海雲はその疲れから体調を崩し、ついに倒れてしまうのでした。
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 体調を崩して苦しむ海雲に、或る日、一人のモンゴル人が「元気が出る飲み物がありますよ。私たちはこれを毎日飲んで健康を保っているのです。」と言って、一杯の飲み物を差し出しました。
 それは、牛乳のクリームを発酵させたものに、お砂糖を加えた『ジョウヒ』という飲み物でした。
 海雲は、一口飲み「うまいっ!」と言って、全部飲み干しました。
 「これは不老長寿の薬だ!」と感じた海雲は、それから毎日その『ジョウヒ』を飲んで、健康を取り戻していったのでした。
 これがのちの『カルピス』のヒントになるのでした。 つづく