上の写真は、今も残る『安政大津波』の石碑である。
すぐ近くに〔京セラドーム〕が見える。
この碑は、現在、大阪市浪速区の〔大正橋〕のたもとにある。(何度か移設されたらしい。)
この場所は、大きな川が縦(南北:木津川)、横(大阪湾から西東:尻無川~道頓堀川)に交差している地点にある。(やはり、水の氾濫には弱いかもしれない。)
ここに来ると潮の匂いがした。・・海が近いのだ。
では、続きをどうぞ。
(播磨屋忠四郎)
「・・前回からのつづきや。
津波は、雷のような音と共に、一斉に大阪の町に押し寄せて来た。
安治川はもちろん、木津川の河口まで山のような大波が立ち、東掘まで四尺(約1・2m)の深さの泥水が流れ込んで来たんや。」
「両川筋に停泊していた多くの舟の綱や碇が切れて、川の水は逆流し、安治川橋・亀井橋・日吉橋、等々の橋は、みんな崩れ落ちてしもたんや。
それで、舟に避難していた多くの人が、犠牲になってしもた。」
「又、〔道頓堀川〕に架かる大黒橋では、大舟が川の逆流によって横転して、小舟を下敷きにして、川をせき止めてしもたんや。
それであたり一面、あっという間に壊れた舟の山が出来、溢れた水が河岸の小屋を壊していった。
その破壊の音や、助けを求める人の声が付近一帯に広がり、正に地獄のようになったんや。
今日はここまでや。・・次回で終わりやで。」
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