テレビでは、歌舞伎役者〔市〇海老蔵〕氏の受けた暴力事件で、毎日やんややんやと、報道されている。
マスコミの今の段階の報道では、はっきりとした事実はわからないが、これだけはいえる。
彼には〔表の顔〕を保つ為に、相当な精神的プレッシャーがかかっていたのではなかろうか・・と。(宗教者も似たような処がある。・・少なくとも僕はそうだ。)
これは、「本当の俺さまは、こんなんじゃない!俺さまは、もっとワイルド(悪)なのだ!」と、無意識で世間に知らせたかった事件だったのかもしれん。(結果的に。)
・・そら、そうやろと思う。
なんせ、歌舞伎界を背負って立つプリンスやし、映画やテレビでも華やかに活躍していたのだから。
あの若さで、看板を背負って生きることは、さぞかし大変であったろう。
結婚したら、もっと楽になると思ったかもしれない。
しかし、やはり、何も変わらなかったのだろう。
だから、ズルをして、キャンセル騒動を起し、逃げたのかもしれん。
たえず、彼の心の底から、救助信号が発せられていたのかもしれん。
「本当の俺はこんなんじゃない!もっと、ずるい顔があるのだ!弱い裏の顔があるのだ!本当の俺をさらしてみたい。・・しかし、それはできん。俺はここから逃げ出すことはできんのだ。・・こんなに耐えて生きているんだ。だから、ちょっとぐらい酒癖が悪かったってかまわないだろう。我儘したって、許されるだろう。これは神様から頂いた俺さまの特権だ!・・そう、良い子とばっかり付き合って酒を飲んでる俺は、本当の俺じゃない。だけど、むなしい。・・誰かそんな俺をもっと誉めてくれ!・・いや、助けてくれ」と救援信号を発していたのかもしれない。
考え過ぎかもしれんが、これって、誰の心にも起こる葛藤だと思う。
〔表の顔〕の裏は、〔裏の顔〕ではない。自分の心の底に潜む〔闇の顔〕だと思う。
当然、僕にも汚い〔闇の顔〕がある。
ただ、僕には信仰という〔くもの糸〕がある。・・それだけが、助けである。
自分に闇があるから、光に憧れ、敬い、救いを求める。
その(ホトケ様に見守られているという)光の信仰によって、僕はどうにか、バランスを(あやふやながら)保ち、生きているのである。
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表の顔、裏の顔、・・いや、闇の顔
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カンネン亭 2010年12月07日(火)12時49分 編集・削除
イベント坊主さま
・・あぁ、僕も願わくば、『海老蔵』氏みたいに、せめて『シャコ蔵』でも良い、いや『ジャコ蔵』でも、良いから名を襲名し、あんな風に言いたいことを言って、生きてみたい!
Event BOSE 2010年12月06日(月)22時04分 編集・削除
観念寺様に同感です。
私は酒癖が悪く、
声がでかく、
我が強く、
でも檀家さんに感謝して
親に感謝して、
人の笑顔を見るのが好きです。
どちらも
阿弥陀様に願われた
私の陰と陽です。
ただ海老蔵君みたいに
耐えること無く
陰も陽も皆さんに
さらけ出す努力はしています。
だってどっちも私だもの。
宗教と道徳は違います。
あ〜
あたりまえに生きたい、
ささやかで良いから。
生々流転
なんちゃって。