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紙芝居:「ある抗議書」 その7 〔最終回〕

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「閣下、
 私は今ここで、〔宗教〕の善し悪しを言うつもりはありません。
 又、そのような資格もございません。
 そして、処刑される人間が死ぬ前に、自分の犯した罪を深く反省する事も良いことだとは思います。
 ・・が、しかし、それで死後〔天国〕に行けたとしたら・・。
 いや、本当に〔天国〕が、あるのか無いのかはわかりませんが・・。
 犯人が、「必ず、〔天国〕へ行くのだ」と言って、心安らかに死を迎えたことを、突然不慮に家族を亡くして、悲しみにくれる我々が聞いたとしたらどうでしょうか・・?」
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「閣下、
 私がこの手紙で言いたかったのは、〔地獄〕へ行かねばならぬような者が、〔天国〕へ行けるという教えを、《刑務所》の中で、聞くことが出来るというのは、おかしいと言う事です!
 そして、この《書物》の発表が、我々遺族の悲しみを、増幅させる事を想像できなかったという《無神経》さに、憤るのです。」
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「司法大臣閣下、
 今一度、死に際の母の言葉を書き足し、この手紙を終りたいと思います。
 『あんな極悪な人間は、この世で捕まらんでも、死んだら〔地獄〕に落ちるんじゃ。 〔地獄〕でひどい目に合うんじゃ・・。』
 犯人〔坂下鶴吉〕は、母の考えとは違って、この世で捕まり、改心した為、死後は〔天国〕へ行ったことになっています。
 私は、母の愚かな期待を思い出す度に、涙を抑えることができないのです。」  おしまい

 〔~この『紙芝居』を作った動機~製作秘話〕
 『先生、極悪人であっても、お念仏ひとつで〔極楽浄土〕へ往けるのですよね!・・で、あるなら、今、獄中にある○○教の教祖も、〔念仏〕を称えれば、死後〔極楽〕に往けるのですか?』
 又、『秋葉原の無差別殺人犯も、小学生を襲った犯人も、〔念仏〕を称えて懺悔すれば、〔極楽浄土〕へお参りできるのですか?』
 ・・以上の同じような質問を、ある〔研修会〕で二~三度ほど聞いた。
 その答えは(講師の先生によると)こうだった。

「仏さまのお慈悲から考えるなら、極悪人であっても〔お念仏〕を称え、(心から懺悔するなら、)〔極楽浄土〕へ往けるのでしょう。・・が、はたして、それらの犯人たちが、心から懺悔し、仏さまを信じお念仏するかは疑問です。」と。
 僕は、この答えを聞いて納得できなかった。
 もし、これらの犯人が、獄中〔お念仏〕を称えたとしたら・・。
 そして、この答えを、もしこれらの事件の『被害者家族』が聞いたとしたら、はたして納得できるだろうか・・?
 この講師先生は、それでも凛とした口調で、同じように被害者家族に、このように言えるだろうか?(ここは、〔宗教者として〕非常に大事なトコだと思う!)
 ・・最近、講師の先生等が口を開けば、「お念仏、ひとつで救われるのですよ!・・お念仏しましょうね!・・有難いですね!」とよく言われる。
 又、「親鸞聖人が、『お念仏を称えれば、悪人でも救われる』と言われましたが、『悪』の意味が違うのですよ。・・お聖人の『悪』とは、人間だれでも持つ根本的な悪の事であって、殺人犯とは違うのですよ。」とも聞く。
 この答えも、僕は疑問だ。
 親鸞聖人の『悪』というお言葉には、殺人犯も含まれていると僕は思っている。・・だからこそ、鎌倉武士たちも入信したんじゃないか!
 『お念仏』一つの味わいは、それこそ、一人ひとりが『命掛け』でなければならないと、僕は思っている。
・・でなければ、被害者家族に対して、お念仏の有難さを、堂々と説くことが出来ないではないか。
 ・・実は、このように偉そうにいう自分自身も、まだ自信がないのだ。
 だから、この『紙芝居』を作って、なんとか自分の考えを少しでも、まとめようとしたのかもしれない。

 ・・あとがきが長くなって、まとまりがつかなくなって来た。
 この『ある抗議書』を紙芝居にしようとした動機は、先の『ある質問』を聞いてから、ずっと温めてきたものなのであるが、なかなか完成しなかった。・・が、今ようやくここに発表でき良かったと思っている。
 実は、妻からこんな『紙芝居』を作っても、どこで発表するの?と、怒られていたのである。(一つ間違えれば、僕のもっとも嫌う、他宗教の教義批判になってしまうからだ。・・また、自身の宗教批判にもなり兼ねないとも思った。)
 それでも、作らざるを得ん不思議な力に動かされ、作ってしまった。

 さて、この実際の事件を元にして書かれた、菊池寛氏の『ある抗議書』の「紙芝居化」は、省略したり、表現を変えたりした部分が、ひじょうに多い。
 願わくば、『原作』を読まれる事を切にお勧めする。(インターネットで探せば、全文読めます。) 本当におしまい。