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紙芝居:「洪庵のたいまつ」 その4

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 29歳の時、〔緒方洪庵〕は大阪へ戻ります。
 そして、ここで『医院』を開いて、診療に努める一方、オランダ語を教える《塾》も開きました。
 ほぼ同時に、結婚もしました。
 妻は〔八重(やえ)〕といい、優しく物静かな女性でした。
 〔八重〕は、終生〔洪庵〕を助け、塾の生徒たちから、母親のように慕われました。
 〔洪庵〕は、自分の塾の名を、自分の号である〔適々斎〕から取って、《適塾(てきじゅく)》と名付けました。
 《適塾》は人気が出て、全国からたくさんの若者たちが集まって来ました。
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 《適塾》は、素晴らしい学校でした。
 門も運動場もない、普通の二階建ての〔民家〕でしたが、どの若者も、勉強がしたくて、遠くからはるばるやって来るのです。
 江戸時代は、身分差別の社会ですが、この学校はいっさい平等で、侍の子も、町医者の子も、農民の子も、入学試験無しで学べました。
 塾へは、多くの学生達が入学して来ましたが、先生は〔洪庵〕一人です。
 〔洪庵〕は、病人たちの診療をしながら教えなければならないので、体が二つあっても足りませんでした。
 それでも塾の教育は、うまくいきました。
 それは、塾生のうちで、よくできる者が、できない者を教えたからでした。 つづく