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紙芝居:「願わくば、花の下にて春死なん~西行法師の一生」その4

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(西行)「出家したのち、わしは『西行』と名乗り、あちこちに場所を移し、修行生活に入った。
 京の〔嵯峨〕や〔鞍馬山〕、そして山深い奈良の〔吉野山〕に庵を設けて、修行したんじゃ。
 ・・が、わしは出家したのちも、歌を作るのはやめんかった。
 歌はわしの生き甲斐じゃった。
 出家した当時、わしは次のような歌を作って詠んでおる。
『世の中を捨てて 捨てえぬ心地して、都はなれぬ我が身なりけり』と・・。これは〔世を捨てたつもりなのに、京の都の思い出が煩悩となって忘れられないよ~〕という意味じゃな。・・わしの出家仕立ての頃の弱い心の内を歌ったもんじゃなぁ。
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 それからわしは、奥州の〔平泉〕や〔出羽〕へ旅をした。
 そして帰ってからは、〔高野山〕で草庵を結んだ。
 当時、〔高野山〕は落雷の為、火事で大きな被害を受けておった。
 だからわしは、〔高野山〕で修行しつつも、寺院復興の為、《勧進》という『寄付金』集めの旅に出ざるを得んかった。
 わしは出家しても、元は〔有名人〕で顔は売れていたから、チャリティー活動がやりやすかったんじゃよ。
 平家の総帥、『平清盛』の所にも寄付のお願いにいった。
 『清盛』とは、北面の武士の頃からの付き合いで頼みやすかった。
 又、わしの親戚に当たる奥州の『藤原家』にも頼みに行った。
 そう、わしは政治の世界から出た身じゃから、『平家』にも『源氏』にも『藤原家』にも、出入り自由だったんじゃ。そう、わしは全国あちこちを回って『寄付金』集めをした! 
 今の〔二十四時間チャリティーテレビのメインキャスター〕兼〔チャリティーマラソンランナー〕の《走り》みたいなもんじゃな。・・なんじゃったら一曲『サライ』でも唄おうかのう・・。『サクラ吹雪の~ サライの空は~』・・何、つづくじゃと。残念!