住職のつぼやき[管理用]

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 特養老人ホーム甍 『偲ぶ会』でのこと・・

 昨日、「特養老人ホーム 甍(イラカ)」苑内で、秋の彼岸『偲ぶ会』が行われた。
 僕は毎回の如く、亡くなられた方のお名前を拝読し、読経し、法話をする。
 こちらの施設が開所して10年。・・この10年間で、苑内で亡くなられた方の人数は、のべ141名。
 又、『偲ぶ会』は、春・秋の(年2回)行っているので、今年の春からこの秋にかけて、亡くなられた方の人数は、7名であった。
 老人ホームは〔終の棲家〕なので、亡くなられる方の数が増えていくのは仕方が無い。
 ・・が、毎回、新たなお名前を読み上げていく度に「あぁ、あの方も亡くなったのか・・」と、一抹の寂しさを覚える。

 今年も『偲ぶ会』が終ってから、参加された家族(遺族)さん達と、お茶を飲んでお話をした。
 印象に残ったのは、或る亡くなられたお父さん(80代)の、60代ぐらいの娘さんが、言われた言葉であった。
 その方は「・・この施設があって本当に良かったです。・・父が認知症になって、勝手に外に飛び出して行き、行方不明になり、何度、警察のお世話になったことか。その度に生きたここちがせず、いつしか私は、買い物に出る度、父をヒモでくくりつけて、外出するようになっていました。その度に、自分のしている事を自分で責めて苦しみました。・・老人ホームに自分の父を預けることは、自分の義務を放棄するかのように思って、ずっとためらっていましたが、もう限界でした。・・こちらに預かっていただいて初めて、夜もゆっくり休めるようになりました。・・まだ、家には高齢の母がおりますが、頭はしっかりしているので、今は家でゆったり暮らしております。・・今はこの母を最後まで、家で面倒みようと思っていますが、もう〔老人ホーム〕に身内を預けるという事に対してのためらいは、なくなりました」という言葉であった。

 人類が今まで経験したことにない、超・高齢化社会が間もなくやってくる。 介護の問題は、決して他人事では済まされなくなるだろう。
 我々は『老人ホーム』という場を、自分にとってどのような場所であるかを、今一度考え、そして位置づけねばならなくなるだろう。

コメント一覧

らむね 2009年10月02日(金)11時59分 編集・削除

私も施設のお世話になっている家族がいるので、その女性のお気持ちわかります。私も他人の力を全面的に借りることにためらいはありましたが、共倒れになるよりはよかっただろうと自分を納得させています。

カンネン亭 2009年10月02日(金)12時49分 編集・削除

らむね様
・・そうだったのですか。
 老人ホームに『出前』に行く度に、(僕も長生きしたならば、)いずれ施設のお世話になるんだろうな、と思うのです。
 その時、施設内で「心安らげる(精神的)癒しのクラブ活動(行事)」があれば良いなぁ、きっと「あぁ、生きているという事は有難い!」と、又「早くお迎えが来て欲しいとばかり言わず、今ある命を大事にしてみよう。そして、いずれ、その時が来たら、私は胸を張ってあちらの世界で、先立たれた人達に『私は生き抜きました!』と言うぞ!」と一時でも、思えるのになぁと信じているのです。
 そんな事を思って『お寺の出前』をやっています。
 僕のやっている事は、小さい・小さい活動ですが、元気な間は、やれるだけやってみようと思っているのです。
 ・・すみません、偉そうなことばかり言ってしまいました。 今日のところは、このへんにしといたる!by
〔吉本新喜劇〕(笑い)

らむね 2009年10月03日(土)08時46分 編集・削除

一生を振り返って『私は生き抜きました!』と胸を張って言えるって素晴らしいですね。私は「本をたくさん読みました!」は言えるかもしれないですが何かに生かすこともなく一人で読んで終わっちゃってる感じです。

先日吉本大好き人間の夫が「うちに来るお坊さんのお経って、途中で”サンマ焼け~”って言うよな」と言いました。まさかあ、と思いましたが本当にそういう発音の言葉があるようですね。今度の法事でお経のその箇所を聞いたら吹き出しそうな自分が怖いです。

カンネン亭 2009年10月04日(日)21時54分 編集・削除

『サンマ・ヤケー』って、真言のことでしょうか?・・
法事の最中、思いっきり我慢してください!苦行です!
『シシャモ・ヤケー』も探してみては?

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