記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

紙芝居:『青年よ、大志をいだけ!・・この老人のように(中山久蔵の生涯)』~その2

・・どうして、僕がこの〔久蔵〕さんの「紙芝居」を作りたいと思ったのか!?
 理由は二つある。
 一つ目は、この地元の『隠れたヒーロー』を、今、第二の人生を模索されてる、団塊の世代の人達に紹介し、元気を出してもらいたかったから。(久蔵さんは、中年になってから、頑張って成功したのです)
 もう一つは、〔久蔵〕さんの出身地である〔太子町・春日〕の『光福寺』様の御住職とは知り合いで、(久蔵さんはここのお寺のご門徒さんだったのです) こちらのご門徒の皆さんに「こんな凄い人が身近に居られたのですよ!」と「紙芝居」で紹介したかったからである。(毎年、夏の《お盆法要》の時には、こちらのお寺に「紙芝居法話」で寄せて頂いているので、今年は〔中山久蔵〕さんの事を皆さんに宣伝したいと思っている)・・以上、余談でありますが、製作動機でした。
ファイル 293-1.jpg
 久蔵さんは〔大阪〕から〔仙台〕、そして〔北海道〕へと活動の場を変えていきます。
 この当時(明治初期)、「寒い北海道で、米作りは不可能だ!」と言われていました。
 又、開拓使団も「ジャガイモや、小麦だけを作れば良い!」と奨励していたのです。
・・が、しかし、久蔵さんは「日本人の心と暮らしには、絶対に《米》が必要なのじゃ」と、反発し、野草や木の実、又小動物などを食べて、米作りに挑戦し続けました。
ファイル 293-2.jpg
 そんな苦労を見た友人は、久蔵さんに「食べる為の米を少し贈ろう」と言ったのですが、「餓えは無くなるが、それでは《自立》の精神を失う」と言って断ったそうです。
 やがて、久蔵さんは試行錯誤の末、寒さに強いといわれる『赤毛』という品種の種籾を手に入れ、稲作を続けます。
ファイル 293-3.jpg
「夜中は水が冷えて、苗がダメになる」と思い、札幌から大きな風呂樽を取り寄せ、大きな石を焼き、それを風呂樽に入れて湯を沸かし、水田に流し続けました。(気の遠くなる様な重労働・単調作業やなぁ・・)
 又、水路をジグザグに掘り、少しでもお日様の熱で水を温めてから、水田に水を流す工夫もしました。
 このような執念ともいえる苦労で、やがて発芽に成功し、そして、遂に・・・、
ファイル 293-4.jpg
二~三年ののち、苗はりっぱに育ち、やがて、たくさんの米の収穫に成功したのです。
 こうして、北海道の《米作り》の夜明けが遂に来ました。
ファイル 293-5.jpg
 この成功を収めてからも、久蔵さんはさらに〔旭川〕などの寒冷地に赴き、無償で、多くの人々に〔苗〕を分け与え、育て方の指導に当たったりしました。
 このような人柄が、『寒冷地稲作の父』と呼ばれる由縁になっていったのかもしれません。
 このように、やがて北海道全域で〔米作り〕は広がっていきました。 久蔵さん、あっぱれ~。 つづく