住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「戦争は罪悪である」(その6:最終回)

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 釈放されてから、彰元師はご自分のお寺の離れで、ひっそりと晩年を過ごされます。
 昭和20年八月十五日、敗戦。
 『・・この戦争は聖戦ではなかった。』と、手のひらを返したようにマスコミが訴えはじめたこの年の夏の終わり頃、ご高齢でずっと寝たままの彰元師に、ご家族は次のようにお話をされたそうです。
「おじいちゃんの言うた通りやったね。・・今に表彰されるかもしれんね。それまで頑張らんといかんよ。」と言うと、
彰元師は「うふふふ、そうかい。」と答えられたそうです。
 その昭和20年10月21日、彰元師は77歳で往生されました。
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 ただ、「今に表彰されるかもしれんね。」と言われた、宗門からのお言葉は無く、宗派が『竹中彰元』師の処分を取り消し、謝罪を表明するまで、2007年まで(約50年間)待たねばなりませんでした。(完全に忘れられ取ったんやろなぁ。・・ああ、可哀想)
 現在、明泉寺山門前には、彰元師の言葉『戦争は罪悪である』と刻んだ石碑が建立され、非戦を訴えかけています。
おわり
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(明泉寺本堂)
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(明泉寺山門前の石碑)
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(竹中彰元師の墓)

コメント一覧

マロンさん 2018年05月06日(日)19時06分 編集・削除

本日狭山池博物館へ行ってきました。4日に来ていただいて有難うございます。展示まで1年半かかりその間に多くの事を体験しました。周防の徳地にも行き、いろんなことを勉強しました。重源上人の偉大さが解りました。周防で20年間生活され木材の搬出と、作善のために、石風呂を造り、お茶の木を植えたり、木材の運搬に関水や轆轤を採用していました。61歳から東大寺の勧進役と成り、延命のため多賀大社で祈られています。一輪車の仕上がりはいかがでしたか。

カンネン亭 2018年05月06日(日)21時38分 編集・削除

重源尊者こそ、行動するほんまもんの僧侶ですよね。
 一輪車は良く出来てましたね。
 あのような車に乗って、勧進で回っておられたんですね。
 腰がガタガタ鳴ってしまうような気がしました。
 一度本当に実験してみたいです。
 いや、寄付集めの時本当にやってみましょう!(笑)

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