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紙芝居:『恩讐の彼方に』 ~その2~

 この〔菊池寛〕氏のお話はフィクションである。
 ・・が、モデルはある。
 主人公〔市九郎〕こと〔了海〕は、《禅海》という実在の僧をモデルにしている。
 前回から続くこの物語の舞台は、今回、江戸から九州・大分県の〔耶馬渓〕という所に移るのだが、この〔耶馬渓《青の洞門》〕には2回程旅行で行った事がある。
 この地には、今でも〔了海〕こと《禅海》さんの像が建ってる。

 『恩讐の彼方に』 ~その2~
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 〔了海〕は、京・大阪・山陽道と〔罪滅ぼし〕の為、行く先々で苦しむ人々を助けた。
 そして、やがて彼は、九州は豊前の国(今の大分県)、山国川の《鎖渡し》という難所に到着した。
 ここは毎年、十数人は谷に落ちて亡くなるという難所で、街道を切り立った山が〔通せんぼ〕していて、その横の細い山壁を鎖を持ちながら越えて行かねば、向こうの国に出られるという難所であった。
 〔了海〕は「この山に穴を開け、向こうの国まで貫通させれば、もうこの難所で命を失う者はなくなる・・」と考えた。
 そう思った〔了海〕は、その日の内に〔ノミ〕と〔金槌〕を手に入れ、穴を掘り始めた。しかし、向こうの国までは三町(約330m)もあった。
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 〔了海〕は、朝に〔托鉢〕をして食べ物を手に入れ、昼から深夜まで穴を掘った。
 そんな姿を見て、里の人々は「身の程知らずのたわけじゃ」と言って笑ってバカにした。
 
 やがて一年が過ぎた。
 が、わずか一丈(約3m)程の洞窟しか出来なかった。
 「あれを見よ。あの変な坊主が一年もがいて、わずかあれだけじゃ!」と言って里人は又、笑った。
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 二年が経った。
 里の人々はもう何も言わなくなった。彼等の嘲笑は、驚異へと変わっていったからであった。
 〔了海〕のヒゲと髪は肩まで伸び、頬はこけ、足はやせ細り真っ直ぐに伸びなくなっていた。
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 ・・九年が経った。
 穴は入り口より二十二間(約42m)までの深さに達していた。
 里の人々は、この頃ようやく〔了海〕の事業の可能性に気づき始めた。
 里人は、自発的にお金を出し合い、数人の〔石工人足〕を雇い、〔了海〕の手伝いを始めた。
 ・・・が、事はそう容易くいかない。
 一年も経たぬ内に、一向にはかどらぬこの事業に、皆嫌気がさし、「入らぬお金を使こうてしもうた」と言って〔人足〕達を引き払った。
 こうして、〔了海〕は又、一人で掘り続ける事になった。

 ・・十年が過ぎた。
 〔了海〕の足はもう立つことも出来ず、目は石の破片によって傷つき、わずかな物しか見えなくなっていた。
  
 ・・十三年が過ぎた。
 洞窟はこの時、全長六十五間(約123m)まで達していた。
 里の人々は、再び驚異の目を開けた。
 そして、今度は十人の〔石工人足〕を雇い、〔了海〕の手伝いをさせた。
 が、やはり今度も、このいつ終るか解らぬ《事業》の出費に皆、不安になり、一人減り、二人減り、やがて皆この《事業》から手を引いてしまった。
 
 やがて十八年が経とうとしていた。
 ただ一人、(ノミ)を打つ〔了海〕であったが、今や彼は〔主殺し〕や〔おいはぎ〕の罪の記憶も薄れ、ただ機械のように(ノミ)を打ち続けていた。
 山の壁は、今や半分まで貫かれようとしていた。

 里の人々は、もはや誰一人、〔了海〕の事業に疑問をもたなくなった。彼等は過去二回の自分達の非を恥、今度は七郷すべての人々に声を掛け、協力を求め、又〔郡奉行〕までが動き、今やたえず三十人程の〔人足〕達が、毎日〔了海〕を助けた。
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「もう穴堀は〔人足〕達に任せて、〔了海〕様は《現場監督》だけしておくんなせぇ」という里人達の声も聞かず、〔了海〕はただ(金槌)を振るった。

 こうして、十九年が経ち、「もう後、二~三年程で貫通する。後少しの辛抱じゃ」と、身に迫る(老い)という敵を感じつつも〔了海〕は懸命に(金槌)を振るった。

 ・・が、しかし この〔了海〕の前にもっと恐ろしい敵が、その命を狙おうとしていたのだった・・・。 つづく