(お寺の横に建つ『おかる同行の碑』。「でかっ⁉・・何かおかるさんに似合わないような気がした。」)
辛い事の多かった人生を振り返りながら、夫と妻が、お互いを仏法の師匠・大先輩《善知識》と呼び、拝み合う姿は美しいものです。
おかるさん、幸七さん、そして現道住職も・・、仏法で救われた喜びが(皮肉でなく)日記の中からほとばしっているようです。
(おかる・幸七のお墓・・こっちの方が好きやな、僕わ。)
こののち、おかるさんは、56歳でコレラに掛かって、安政三年にあっけなく亡くなられます。(本当にあっけないですが、これが人生で、本当の姿です。)
・・
それより少し前、おかるさんは西教寺を訪ねて、どういう気持ちか、住職に次のような歌を《一首》言い残しています。
『亡きあとに、かるをたずねる人あらば、弥陀の浄土にいた(行った)と答えよ』。
これが彼女の辞世の句となりました。
そう、この歌の如く、おかるさんは浄土に還られたのです。
おしまい
( ※今年の風雲急の芸能界に捧ぐ・・。)