新しい『紙芝居』が出来た。
その最初の初演観客は自分なのである。
どういう意味か?
初演は、鏡に向かって演じるのだ。
どういう風に映るのか?話は解りにくくないか?・・などを考えながら、演じてみるのである。
今回もそれをやった。
それで、いつも同じように思うのだが・・今回も感想はこうだ。
『なんで、こんなおもんない紙芝居を作ってしもたんやろ。一部の宗教マニアの者しか面白ないわ。いや、マニアも面白ないかも?・・僕はこの話を通して何が言いたかったんや!』と反省するのだ。
それでも、まだ作り続けたい思う自分が、時々いやになる。
そしてこの作品は、お蔵入りやなとも思ってがっかりする。
・・しかし。
しばらく置いて、二・三カ月してから、もう一度、鏡に演じてみると、・・その時、『これ、けっこう面白い紙芝居やわ!』と、一回目と全く違う思いを感じてしまう事もある。(まるで『白雪姫』の魔女の鏡のよう・・)
こんな繰り返しが何べんもある。
この違いはなぜか?
はっきりとは解らんが、きっと劇場で、同じお芝居を演じ重ねる俳優たちと同じような感じなのではないだろうか?・と思うのだ。
何べんも同じものを演じていると、深味が出てくるのだ。
今日完成した紙芝居も『つまらん!』と思ったのだが、きっと、演じている内に味が出て来て、いつか代表作の一つになることを願う。
そんなことを考えながら、鏡に向って演じていると、いつの間にか、妻が後ろから何やら難しい顔をして、変に僕を見ていた。
そう、僕はこんな変な人間なんですよ。と言っても、妻は何も言わん。あきらめとるんやろな・・。
あぁ、『鏡を鏡、鏡さん。この紙芝居が受けますように!それと、妻に捨てられませんように』。