今日、兵庫県芦屋市から、[志真照男]さんという男性が、お寺にお越しになった。
この方は現在、ある『紙芝居講座』(=こういう講座があるそうだ、初めて知った)の受講生なのだそうで、先生について、紙芝居を語って聞かせる勉強をされているそうだ。
今日は、僕の紙芝居を見学というか、研究に来られたのだ。
お話を伺っていると、その講座では、紙芝居の紙の裏にはほとんどセリフが書いていなくて、ほとんどアドリブでしゃべるらしい。
ある意味面白い手法だ。・・いや、本来、紙芝居の演じ方はこういうものなのであろう。
でも、僕の紙芝居の語り方とは違う。
このパフォーマンスだと、お客さんの生反応があって、ウケれば快感。しかし、その逆だとしんどいだろうなと思う。そしてエネルギーがいるなとも思った。(エネルギーの無い僕には無理だ。[笑])
僕の紙芝居は、ほとんどアドリブがない。読んでいるのを聞いて頂く、いわゆる朗読劇(あえて言うなら、それプラス『絵』のチカラ)に近いのだ。
どちらが、良いと言っているのでは無い。
色んな紙芝居の[手法]があるのだ。
いろんな紙芝居の楽しみ方があり、『それで良いのだ』と、今日改めて思った。