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紙芝居:「安居院 聖覚法印さま」(その11)最終回

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 [天台宗]の僧侶でありながら、[浄土宗]の開祖『法然上人』から、「私が亡くなった後は、『お念仏』に関しては、聖覚法印に聞くように。」とまで言われた聖覚様。
 『唯信鈔(ゆいしんしょう)』という、念仏の教えの要を書かれ、弟弟子の親鸞聖人からも、(親鸞聖人はこの書物の解説文『唯信鈔文意(もんい)』を書かれた)尊敬された聖覚様。
 今、聖覚法印さまは、京都市上京区にある浄土真宗『西法寺』さまの境内におまつりされています。 おわり
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(安居院 西方寺さま)

 (あとがき)
 昨年、僕は『聖覚法印』のお墓がある京都の[西方寺]様にお招き頂いた。
 そこで、聖覚さまの肖像画を、ご住職から見せて頂いた。
「なんと、優しいお顔なのか!」と、僕はその時思った。
 もっと、(通天閣にある串カツ屋のおやじのような)厳つい顔を想像していたのである。
 その時、僕の中の聖覚法印のイメージは変わった。そして『この方を紙芝居にしてみたい』と思い、約一年ほど掛けて資料を読み、解り易いように単純化して作った。
 でも、今も『まだ、書き足らない』と思っている。・・反省。
 それと、西法寺の近くに、今も紫式部のお墓が、慎ましくちょこんと建っている。(まるで、聖覚さまに感謝するように・・。)これも、感慨深いものがあって(余計かもしれなかったが)紙芝居の中に導入したが、聖覚様の人間性を描くに当たっては、やはり余計な事であった。・・これも反省。
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 最後に、ちょっと専門的なことになるが、聖覚法印と親鸞聖人と我々僧侶やご門徒の、今も続く関連の話を。
 私たち『浄土真宗』の同朋は、法要の後(必ずと言って良いほど)『恩徳讃(おんどくさん)』という、親鸞聖人が『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』という書物の中で書かれた和讃(歌)を唄う。
 ・・こんな(和讃)歌だ。
『如来大悲(にょらいだいひ)の恩徳は 身を粉(こ)にしても報ずべし。 師主知識(ししゅちしき)の恩徳も 骨をくだきても謝(しゃ)すべし。』(親鸞聖人作)

 実はこの和讃には、聖覚法印が作った『原文(モデル)=「本尊色紙文」』がある。
『つらつら教授の恩徳を思えば 実に弥陀の悲願に等しき者か。骨を粉にして之を報ずべし。身をくだきて謝すべし』 ・・似てるやん。(ひょっとして、親鸞聖人のパクリ!)ちょっと違うのである。

 拙意訳では・・、
(親鸞聖人=『恩徳讃』)
『阿弥陀如来は「必ずあなたを救う、すべてを私に任せよ」と言われた。このご恩は身を粉にしても、返すことは出来ないほど有り難い教えです。この事を伝えて下さったお釈迦様や高僧の方々も、骨をくだいても返せないほどの有難さがあるのです。この感謝の気持ちを持ちましょう。』=(我々の力では返すことが出来ない、有り難い境地を唄っておられる)
 ・・に対して、
(聖覚法印=『本尊色紙文』)
『阿弥陀如来は「必ずあなたを救う、すべてを私に任せよ」と言われた。このご恩は身を粉にしても、返すことの出来ない有り難い教えなのです。この教えを伝えて下さったお釈迦様や高僧の方々のご恩は、阿弥陀如来と同じぐらい有り難いものです。骨を粉にして、身をくだいてお返ししましょう!』になる。
 よく似ているが、聖覚法印は「このご恩は、何としても(自分で)返しましょう!」と言っている。
 もう一度言うが、それに対して親鸞聖人は、「とても、そのご恩は(こんな私が)返せるものではない!ただただ感謝しましょう!」と言っているのだ。
 このへんが、同じ『他力』の教えながら『浄土宗』(聖覚法印は浄土宗では無いが、)と『浄土真宗』の違いとなっているのだ。
 ・・ちょっと専門的だったが付け加えました。本当におわり。