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紙芝居:「ダム湖に消えた村」(その4)

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(お爺さん)「この村は、全部で七つの集落で成り立ってんねんけど、その内の三つの集落と、その周りの畑や山林が水に沈んでしまうっちゅう事になってな、市長との話し合いが始まったんや。
 ・・けど、そら建設反対運動が起こって大変やったんや。
 そら考えてみい、自分の住んでる故郷が水の底に沈むんや!誰だって反対するわなぁ。」

(家族みんな)「そら、そうや!」

(お爺さん)「・・しかし、このダム建設の話し合いは、およそ十年の歳月を経て、正式に決まったんや。・・それは昭和四十七年十一月の事やった。」

(父親)「それで、そこに住んでおった人等はどうなったんですか?」

 (・・ここで余談ながら、住民を説得する行政側もたいへんだったそうだ。命を張ってこの説得にあたったらしい。そのため、最後は血のおしっこまで流して神経をすり減らし説得されたそうだ。(行政側の談))
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(お爺さん)「・・そら、引っ越すわなぁ。このダム建設前には、住宅が全部で百六十件あったんや。
 それがダムが出来ることによって、水の底に沈む家が七十九件。・・で、その内、十九件は高台に引っ越して、後の六十は、滝畑の村を離れて、河内長野市の小山田(おやまだ)の新天地『新滝畑台』に四十件移って行かれた。
 そして、他は、いろんな縁を頼って、引っ越して行かれたんや。」

 (これも余談であるが、このダム建設の目的は、一つが飲料水確保の為であった為、すべての家は破壊して(つまり、さら地にして)引っ越すことが条件の一つとなっていたそうだ。そのため、業者に取り壊してもらうのは、忍び難いと考えられた住民たちは、自らが大工道具などで取り壊したとも聞く。(体験された住民側の談))
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(お爺さん)「・・そして、すべての家の引越しは終わった。
 住んでた家を解体して、引越し先でそのままの形を復元しはった方もあったんやで。
 もちろん、お墓も全部引越しや。・・ご先祖さんも引っ越してもらわんとあかんもんなぁ。」

(母親)「へぇー、お墓もみんな引っ越したんやねぇ。」
 
 (又、これも余談であるが、現在、新滝畑台にお住まいの方で、このお墓の引っ越しを経験された方にお聞きすると、当時は土葬であった為、引っ越し作業に時間が掛かりたいへんだったそうである。)
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(今も残る、新滝畑台自治会館前の引越しのご苦労を物語る記念碑)
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 つづく