住職のつぼやき[管理用]

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自信

 昨日、第111回目となる「特養老人ホーム甍」での『法話会(こちらでは『講話クラブ』と呼んでいる)』を行った。
 お寺から出発直前に、京都から突然、お客さまが来院された為出発が遅れて、会の開始は30分遅れで始めることになった。
 それでも、到着した時、施設では皆さんがいつものように、笑顔で待っていて下さった。
 又、職員さんも嫌な顔一つせず、「忙しいのに、毎回すみません。大雨で出にくいのに有難うございます」とおっしゃってくださり、たいへん恐縮してしまった。 
 ほんまありがたいことです。
 それでいつもように、紙芝居を使って法話をして、最後は質問コーナーに移った。
 昨日、あわてて施設へ向かった為、(着替える時間がなく)Tシャツと短パンの上に、夏用の法衣を羽織るというカッコでお話をさせて頂いたのだが、そんな姿にも関わらず、「住職さん、ナンマンダブツって、どういう意味ですか?」とか、「空海さんと最澄さんは、ホントは仲が悪かったのですか?」などのマニアックな質問も出て、たいへん濃い法話会となりました。
 そんな質問に笑顔で答え、最後に、片付けながら感じた事なのだが、僕は自分が(施設の)皆さんによって『自信』を与えてもらった(=育ててもらった)と、感じてならなかった。
 その『自信』とは、人前で堂々と喋れることができるようになった自信。
 又、どんな質問が出てもビビらず、笑顔で答えることができるようになった『自信』。そして、答えが解らん質問の時は、正直に「それは解りません」と言える『自信』。
 途中で席を立たれても、同じ事を何度言われても、奇声を上げられても、喧嘩が起こっても、自分の心を冷静に保てて事に当たることが出来るようになった『自信』。
 それらは皆、皆さんの優しい眼差しがあったから出来た『自信』だと思うのだ。
 施設で『法話会』をさせて頂いて、18年。
 大阪弁でいうと、『一番得した』のは僕だと思う。
 もう、恐くないです。・・誰が何と言おうと、いろんな福祉施設や病院でお話させて頂いた、この18年間という時間の実績は強いです。
 さあ、この(皆さんによって育てて頂いた)『自信』を、これから、たくさんのご縁ある人々の為に使わせて頂き、ご恩返しをするのは、今からだと思う。
 そんな事を改めて感じた昨日の法話会であった。合掌

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