住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「『信心を得よ!』物語」~「蓮如上人御一代記聞書」より〔中編〕

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 面白いエピソードして、次のような逸話が残っています。
蓮如(れんにょ)様は、お子様たちに、しばしばご自分の足の裏をお見せになりました。
 その足は、『わらじ』の緒のくい込んだ痕が、はっきりと残っていました。そして、
(蓮如)「このように、京都と地方の間を『わらじ』の緒がくい込む程、自分の足で行き来して、仏法を説き広めたのじゃ。」と仰せになりました。(それに対しての子供達の感想は・・、記録は残っていません。でもいったい、どのように思われたのでしょうねぇ。・・さぁ、ここで問題です。〔1番〕「またかよぉ、おやじ。いい加減にやめてくれよ。」、〔2番〕「すごいぜ!おやじ、俺も真似たいぜ、ベイビー。」、〔3番〕「僕達には、そこまでできましぇーん!ビックな父を持つとたいへんなんすから、もう。」 答えは想像にお任せします。)
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 このように、蓮如様は村から村へ、各地に御教えを広めて歩かれたのです。
 その甲斐あって、やがて各地に小さな『道場』が増え、人々は毎月、日を決めて、『お念仏の集会=〔講(こう)〕』が開かれていきました。(余談ですが、自坊『観念寺』もその一つなのです。)
 蓮如様は、この集会(講)について、次のようにおっしゃっておられます。
(蓮如)「仏法について話し合う時、ものを言わないのは、信心が無いからである。・・そういう人は、心の中で、うまく考えて言わねばならないと思っているのであろうが、それはまるで、どこかよそ(他所)にあるものを、探し出そうとしているかのようである。心の中に、嬉しいと言う気持ちがあれば、それはそのままに、あらわれるものだ。『寒ければ寒い』、『暑ければ暑い』と、心に感じた通りがそのまま口に出る。仏法について話し合う場でも、そのようにものを言わねばダメなのだ。」と。
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 又、次のようにも仰っしゃっておられます。
(蓮如)「『硬いものは石である。柔らかいものは水である。その水が石に穴を開ける。そのように心一筋に貫けば、悟りの道も成就しないはずがない。』と古人の言葉にもある。今、信心を得ていない人でも、真剣に御教えを聴聞すれば、仏さまのお慈悲によって、信心を得ることができるのだ。ただ、仏法は『聴聞(ちょうもん)』なのだ。」と。 つづく

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