住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居「大阪の川の流れを変えた男 中甚兵衛ものがたり」(その1)

ファイル 1080-1.jpg(大和川)
 現在、大阪府を流れる二つの大きな川といえば、『淀川』と『大和川』。
 その一本の淀川は、北の京都から南の大阪へと流れ、
 もう一本の大和川(やまとがわ)は、東の奈良から西の堺港へと流れ込みます。
ファイル 1080-2.jpg(中甚兵衛像)
 それでは、その一本の『大和川』は、昔からの(自然に出来た)川では無く、人工的に(流れを変えて)作られた川だと、皆さんはご存知だったでしょうか?

 その川の流れを変えた男が、今からお話する『中 甚兵衛(なか じんべえ)』なのです。

 この甚兵衛の銅像が、今も柏原市役所の前に建っています。
 それは、ここが川の流れを変えた分岐地点だからです。
ファイル 1080-3.jpg(中甚兵衛:顕彰碑by東大阪市今米)
 中 甚兵衛は、河内の国:今米村(現在の東大阪市今米〔いまごめ〕)に生まれました。

 ・・さて、僕は縁あって昨年の春、この今米にある浄土真宗本願寺派「清證寺」さまに御法縁を賜り、お話に行かせて頂きました。
 そこで、「中甚兵衛」の御子孫のお一人〔川中さま〕とお出会いすることが出来たのです。
 そして、法要の後、こちらの御子孫のお家に(ご住職を通して)ご招待頂き、甚兵衛さんのお話(逸話)を事細かくお伺いする貴重な機会を頂いたのです。
 僕は、そのお話をお伺いして感動しました。
 「大阪にこんな凄い男が居ったのかっ!・・まるでこの執念は、視力を無くしてまでも日本に仏教を伝えようとした鑑真和尚のようだ!」と。
 それからです。
 僕の心に『中甚兵衛』という男が棲み付きだしたのは・・。
 そして、いつか『中甚兵衛』の紙芝居を作ろうと、甚兵衛さんの本を読み漁り、柏原市資料館に行ったり、又そのお墓の
ファイル 1080-4.jpg(京都:中甚兵衛墓by京都大谷本廟)
京都市にある「大谷本廟」にお参りにも行きました。(こちらのお墓は、本廟職員にお尋ねしても「それ、誰?」って感じで探すのに苦労しました)
 又、調べて行く内に、甚兵衛が『大和川』を完成したのち、翌年、大阪の浄土真宗本願寺派『北御堂』で剃髪したという事実も解り、親しみを感じたと同時に『なぜ?』という気持ちも沸いてきて、益々調査に熱が入りました。
 そして最後は、中甚兵衛が作った現在の『大和川』を沿いながら、堺まで車で走らせ(自分なりに)調査して見ました。

 ・・でも、結局は『この男はスゴイ!』ぐらいしか解らなくて、結果的に幼稚な紙芝居にしかならなかったんですけど。
 まぁ、それでも、構想から完成まで約一年近く掛けて出来た紙芝居です。 
 ご興味ございましたら、最後まで見てやって下さい。
 それでは、はじまり、はじまりー。
ファイル 1080-5.jpg
 『中 甚兵衛』が生まれたのは、江戸時代の初期。
 甚兵衛は、大阪の〔今米村〕という所の庄屋の家に生まれました。
 〔庄屋〕というのは、お百姓さんたちの代表の事です。
 つづく
 

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