住職のつぼやき[管理用]

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『看病用心鈔』 第六条 「死を覚悟するということ」

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 ミャンマーの水害、そして中国での大地震・・。
 ここ最近、次から次へと《大天災》が起こっている。
 そして、たくさんの犠牲者の方のニュースが報じられ、連日涙がこぼれる・・(僕は泣き虫なのだ)。思いも寄らぬ突然の天災による《死》。お亡くなりになられた方々は、まだまだこの世でやりたい事がいっぱいあったであろうにと思うと、つらく悲しい。
 ・・話は変わる。・・先日、このブログに書いた『看病用心鈔』の(第六条)にも「突然やってる《死》についての覚悟」について書かれてある章があり、今日はそれを抜粋して書いてみたい・・と思う。

 『どのような病気や事故で、どのように《命》が終わってしまうかなどわかりません。
 あまり私達の知る余地のない《死に様》についてあれこれ悩なまい様にしたいものです。なぜなら、思い通りの《死》は決して訪れないからです。戦争・火事・水害などにみまわれ命を失ったり、突然死などがありえるからです。
・・私達は日頃から持つべき信仰を持ち、生きる目的をしっかり持って、これを備えとしたいものです。そしてその上で、心安らかに自らがあこがれ願う次の世界へ旅立ちたいものです。(以下略す)』
 ・・良忠上人はこのように述べられている。きっと鎌倉時代も、目も当てられない様な〔天災〕や〔戦争〕があり、上人は心を痛め、この《章》を書かれたのだろうと思う。
 今、平成の時代に生きる私たちにも、突然の思いがけない《死》はいつやって来るかわからない・・。
 それに備えることができるような、しっかりとした《信心》を常に固めておきたい・・と僕は思った。
 
 
 

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