住職のつぼやき[管理用]

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人が亡くなるということ・・

 今年は《お葬式》が多い・・。
 人が亡くなると、なるべく早めにその方の枕元で《読経》せねばならない為(・・これを一般に〔枕経(マクラキョウ)〕という)、常に僕のいる場所や、携帯電話の番号などは〔門徒さん〕や〔葬儀屋さん〕にお伝えしてある。
 人が亡くなるのは昼夜を問わない。・・だから深夜でもその電話がかかってくることがある。
 深夜に電話が鳴ると「ああ、どなたか亡くなられたな・・」といつも覚悟する。そして時間を聞いて《読経》に伺う。
 その〔枕経〕の現場は、いつも独特の空気が流れている。
 泣いておられる方や看護疲れの為か憔悴しきっておられる方、テンションが上がりすぎて〔葬儀〕の打ち合わせの声がでかくなっておられる方、などエトセトラ・・である。
 それで、・・僕はいつも思うのだが、〔人がおひとり亡くなる〕というのは、大変な事だと感じている。
 この世からその方が完全に姿を消すのだから、それは仕方がない事だと思うのだが、家族・親戚は悲嘆に暮れる時間がなく〔お葬式〕の準備の為、その瞬間・瞬間に即決していかねばならない事がなんと多いことか!〔たとえば、葬儀の場所の設定・時間・連絡する知人・親戚の宿泊場所・細かい所では焼香の順番などもある〕。
 それは御家族にとって慣れてない事だと思うので、神経を使い、凄いエネルギーがいるに違いない。
 だから、僕はなるべく〔葬儀〕に関しては細かい事は言わないようにしている。・・たとえば「うちの宗派は、こんな事は絶対しませんよ!」などとは、まず言わないようにしている。おかしな事があれば、そっと葬儀屋さんに言ったり、自分で直せる所は直してしまう。
 それぐらいしか僕には協力出来ないからだ。聞かれたら答えるが、なるべくこちらからは言わない。
 時々、なんで《お葬式》って、こんなしんどい事を一遍にしなければならないのだろうかと思うが、すでに或るものは仕方がないので、僕はなるべく遺族さんの精神的負担が(宗教的な面では)最小限になるように心がけて行ってるつもりだ。
 そんでもって・・今日の最後の一言。お葬式というのは、しんどい儀式やから、最近はみんなちっちゃく《家族葬》で済ますのやろなぁ・・と思う。

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